私たちはポピュリズムの時代に生きている――『ポピュリズムを考える』刊行によせて  - SYNODOS JOURNAL(シノドス・ジャーナル) - 朝日新聞社(WEBRONZA)

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 吉田徹『ポピュリズムを考える:民主主義への再入門 』の紹介。まあ、ポピュリズムってのは、社会構造や権力構造の組み換えの一表現なのは確かだろうな。旧来のエリートが信頼を失った状況で、活性化のための運動がポピュリズムということができるのだろう。「民主主義が危機だからこそポピュリズムが起こるのだ」というのは同意できる。

こうして、民主政治を囲っていた防波堤は瓦解し、政治リーダーは人々との直接の結びつきを強めようとする。「大統領型」の政治を可能にする日本の知事が、地方議会をむしろ排除することによって「人々」を動員しようとするのは、まさにこうした構図に当てはまるからに他ならない。そしてここでは、もはや「利益の分配」よりも、「物語」や「価値」をめぐる政治が主たる対立軸になっていくことになる。

もちろん、ポピュリズムにも負の側面がないわけではない。とりわけ、不可逆的な社会的紐帯の欠落を、政治リーダー=ポピュリストとフォロワー=サイレント・マジョリティとの情念による結びつきによって回復しようとし、様々なシンボルや記号でもって「敵」を作り上げることで政治的動員を図ろうとすることは、場合によっては危険な方向へ共同体を向かわせる。

 まさにここのところが問題なんだよな。民主党ポピュリズム的な手法で、政権を取ったわけだが、権力構造の組み換えには完膚なきまでに失敗したと言っていいし。実際に取る行動は自民党政権とさして変わらないという。
 ただ、その代替として出てきた大都市発のポピュリズム政治家が更にしょっぱいのが、いかんともしがたいというか。