本山彦一翁記念碑

 碩台小の正門わきに建っている石碑。前々から知っていたが、学校の敷地内だとなかなか写真撮ったりもしにくい。珍しく休日に通りかかったので。
 本山彦一は毎日新聞社の基礎を作った人物なのだそうだ。他に児島湾干拓などにも関わった模様。後は考古学の資料が関西大学に寄贈されている模様。
 しかし、徳富蘇峰ってあちこちでこの手の顕彰石碑の文を書いてるな。基本、右系の人が多いようだが。
本山彦一Wikipedia
関西大学博物館:沿革
大毎慈善団と本山彦一(市民活動情報誌『Volo(ウォロ)』2004年3月号(通巻393号))


報君国


明治維新以来我か東肥人物輩出す而して松陰本山彦一翁は実に其の重なる一人と為
す君少小志を立て福沢諭吉先生に就て学び而して老親を養ひ且つ学業大成の資を得
んが為に姑く禄仕し更に官を辞して全国を漫遊し民情を視察し知友を天下に求め時
事新報社に入り其の初期に於て福沢翁の業を幇け幾もなく大阪に来り藤田組に入り
遂に児島湾干拓の大事業を成就す後ち大阪毎日東京日日の両新聞を経営し 皇室中
心主義を以て国論を指導し其の勢力と信用とは世界的声価を博し帝国の文化に貢献
する所甚た鮮少ならず君平生利用厚生の道を講じ自ら費を投じて富民協会を創設し
産業の啓発に資する所あり更に各種慈善の業に尽し余事亦た考古博物等の研究に及
ひ其の社会に於ける功績の偉大なるは世上の周ねく知る所曩に貴族院議員に勅撰せ
られ勲二等に叙せらるるもの真に其の所以ありと謂うべし頃者郷人有志相謀り君の
誕生地を卜して石を建て之を不朽に伝へんと欲し文を予に嘱す予君の平生を知る最
も深し乃ち其の梗概を叙して之に応ず君嘉永六年八月十日を以て生る今や齢八秩に
躋り矍鑠として尚ほ且つ公事に鞭掌して老の将に至らんとするを知らさるもの必ら
すや郷人をして感発興起せしむる深甚多大なるものあらん夫
  昭和七年五月             蘇峰 徳富猪一郎撰
                     鶴庭 阪井○太郎書