立田阿蘇三宮神社の石造物

 狛犬に続いて、境内の石碑や石灯籠類。江戸時代にさかのぼる石造物は見当たらないな。石灯籠が興味深い。

石灯籠

 明治38年の石灯籠に「在米村上三○」と彫った石灯籠がある。この周辺でアメリカにわたって成功した人がいたんだろうな。大津町の住民が寄進した石灯籠もある。このあたり、ここが豊後街道に面していて、広い範囲の人に親しまれていたことが分かるな。




「立田阿蘇三宮神社 御神殿銅板屋根葺き替え並びに台風災害復旧工事」碑

 1999年の台風で神殿が破損したときの修理の記録。1999年だと熊本にいなかったから、どんな台風だったか分からないな。1720年建立か。そう言えば、石碑ばっかり見て、建物はあまり見てなかったな…
 氏子総代が出ている集落を地図で探すと、北から北東に氏子圏が広がっているようだ。全部は見つかっていないけど。豊後街道に沿って広がっているのだろうか。

立田阿蘇三宮神社
御神殿銅板屋根葺き替え
並びに台風災害復旧工事


当御神殿は 享保      氏子総代
五年に御造営され     牧鶴 高田甚太郎
既に二百八十余年が       高田道行
経過し折々に屋根        谷 炳
葺き替え一部修繕        田中秀昭
が行われ歴史を刻        高田勝二
み風格を醸しだして       奥村義博
おりますが平成十一    芭蕉 田中泉福
年九月の激甚台風に       蓑田亮一
より屋根部分等著        田島定義
しく損傷するによって   北  田中康清
氏子崇敬者の          村上満男
御奉賛及び災害保        島村国昭
険の資金により銅板    一丁 田中堅
屋根葺き替え内部等       田中勉
修繕整備を行い 修    迫  中村保
復工事が麗しく竣工    井ノ上高宮忠恕
することができました   堂ノ前日下部孝
よって茲に概要を記       村山英一
し後代に備ふもので    宝積寺濱武哲人
あります            穴見勇
                工藤茂
 宮司 坂本光治        穴見善一
 氏子総代会長      緑ヶ丘藤田智幸
    田中泉福        穴見太一
                穴見良一
             楠  岩本義邦


  総工費 壱千弐百参拾五萬円
平成十二年五月吉日


三宮神社遷座三百年記念碑」

 台座がものすごい勢いでツタに覆われている。下の方にもいろいろと彫られてそうだけど。1661年に細川家三代綱利によって白川河畔から豊後街道沿いの現在地に遷座したそうで、それを記念してのものだろう。旧社地はどこなんだろう。



表面

三宮神社遷座
三百年記念碑
昭和三十六年十月



裏面

 記念事業
表参道石畳の新設
手水舎改修
社務所下屋○葺替
外便所新設


昭和11年拝殿改築記念の石灯籠

 何を言いたいのかよく分からん文面だが、当時の皇太子、今の天皇が、生誕したか東宮御所に移った記念に、拝殿を改築して、それに金を出した人の名前を石灯籠に刻みましたって言っているようだ。特に後半は判読がいい加減。「国体明徴」あたりが、時代を写しているな。あと、ここの氏子のこういうのが大好きな人がいるようだ。
 よく見ると人名が刻んであるが、そのあたりは完全に省略。

 友人相部武久馬慷慨愛国の士也夙に神祇に奉仕す予に けて曰く近時国体明徴論の如き皮相末流の見固
より取るに足らす其神武天皇以来昭和の聖世に至り御生れながら 継宮明仁親王殿下を皇太子に冊立あら
せ玉ふか如き固より神寿の存する所吾等臣民の軽々測知る所に非す苟も帝国臣民たるもの斯千載一遇たる
国家の御慶事に当り何人か之を慶祝せさらむや予曰く善し以て国体明徴の論定る矣又曰く吾等は同士胥議
り皇室稀有の御慶事を後昆に記念せむか為め普く篤志家の義醵を仰ぎ立田阿蘇三宮神社拝殿を改築し以て
皇太子殿下の万福を祈り奉り又関係特志責任者は春日燈籠四基を奉献し寄附者の芳名を刻して子孫後世に
伝ふ是則ち思想善導の所以也と乃ち其梗概を叙すと云爾
    昭和十一年九月                    ○湖 村上典吾識


石灯籠「献灯 武運長久祈願」

 日中戦争への出征者の武運長久を祈って奉納された石灯籠。立田中の東、芭蕉集落の人が奉納したもの。



右面

支那事変に当り出征将兵の武運長久を祈りて建之
 昭和十三年十月二十七日 芭蕉第一小組合


清水茂吉 田中鹿八 阪田利一郎 清水為喜 坂田七郎
清水寿男 清水貞雄 田中伊熊 坂田義秋 坂田国衛


石灯籠「献灯 漢口陥落記念」

 上の「武運長久祈願」と同じ日に同じ人が奉納しているので、セットなのだろう。こういうのが好きな人がいたんだろうな。時代を現わしていて興味深い。

昭和十三年十月二十七日 芭蕉第一小組合
(人名略)


「立田阿蘇三宮神社玉垣新設事業概要」碑

 2007年に道路拡幅によって玉垣を作り替えた記念碑。上の2000年の社殿修理の時の氏子総代と比べると、結構人の出入があるな。

立田阿蘇三宮神社玉垣新設事業概要


熊本県が行なう熊本菊陽線単県
整備道路改良工事に伴い 交通
安全の目的で 当神社の境内を
有償提供し歩道等幅員を広くする
に当り大正三年に建立されやや
老朽化した旧玉垣を境内別所に
移転設置して新たに白御影石造り
玉垣を氏子・崇敬者に寄進
賜り整備建立したことを記し末永
く後代に備ふ
     宮司 坂本光治
 玉垣奉納 二百二十五本
 寄進額。総工事費(土台石含)
  金 五百八十五万八千円
 平成十九年十二月十五日 竣工


  氏子総代
牧鶴 高田道行   一丁  田中勉
仝  高田勝二   仝   繁田義国
仝  奥村義博   迫   中村大喜
仝  高田賢一   井上  田中幸生
仝  高田秀春   仝   田中高臣
仝  小池善光   堂ノ前 徳永信雄
芭蕉 田島定義   仝   松岡勝信
仝  田中秀春   宝積寺 濱武哲人
仝  井上昭次   仝   穴見善一
仝  清水義則   緑ヶ丘 穴見太一
北  山下文明   仝   穴見良一
仝  島村浩二   楠   岩本義邦
仝  村上トミエ


「郷社立田阿蘇三宮神社」碑

 名前を書いた立て札のようなもの。皇紀2600年記念に建てられた物と裏の碑文に書かれている。しかし、この神社、昭和10年代の前半に次々と石造物を建ててるな。
 下の氏子総代の名前は、他の石碑と比較してみると面白かったかもな。残念ながら写真で判読できないので、完全に省略。

          氏子一同浄財を醵出し
皇紀二千六百年記念 神社所有の石材を以て建之


          昭和十五年十一月十日
(下段氏子総代名は省略)