「史蹟禅林寺跡」碑

 田迎神社の公民館を挟んだ北側。周囲には歴代住持の墓らしい、立派な墓石が並ぶ。もともとは、こっちが主で、神社は従だったようだが、廃仏毀釈で廃寺になったようだ。




  史蹟禅林寺
 禅林寺は田迎神社北側にあった禅宗の古寺
で延宝三年(西暦一六五七)再興されたと伝えら
れ開基は田迎次郎左ェ門尉頼元海山は花園天
福寺の雲甫行岩禅師である。頼元は禅林寺のほ
か田迎神社も建立し田迎手永の惣庄屋として
代々地域の発展や住民の福祉に貢献した。
 寺は明治維新に廃寺となったが、明治八年か
ら十九年迄田迎小学校の母体となる「田迎学校」
が置かれ、園田大策先生が教鞭をとった。現在遺
品として本尊釈迦仏や「ねはん」画像などが保存
されている。この墓地は田迎氏(本姓は園田氏人
吉相良家の一門)の墓地で初代惣庄屋の次郎左
ェ門尉頼元、二代の五兵ェ尉頼宣、三代の次郎左
ェ門尉頼春ほか一族並びに寺僧の石塔がある
が、歴年荒廃していたものを昭和五十五年二月
一日田迎町内自治会に於いて、史蹟として整備し
たものである。
昭和五十九年六月吉日建之 田迎町第一町内自治