渡鹿「道路改修記念碑」

 現在は県道103号線と産業道路の交差点脇に移設されているが、元はその南西、渡鹿踏切そばの交差点に立っていた石碑。現在のローソン保田窪店の敷地にあった。碑文を見るに昭和初めに渡鹿踏切から水前寺駅までの道路を拡幅したさいの記念碑らしい。一部読めていないが、放置していても仕方がないので掲載。
 移設年は2004年。台座には土地寄附者と熊本市・広畑村・小山戸島村の関連役職者名が彫られているが、例によって省略。
(12/11/20碑文差し替え)

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本道路は今を去る三百年前加藤公の初て開鑿せられしのみして高森往還と称し肥後東部唯
一の要路にして沿道部落の物資は素より遠くは日向延岡豊後竹田方面の物資は総て本道路を
経て熊本へ搬出されたるを以って交通運輸に多大の便益を与え又一面には清正公の軍用道路と
して天下に名を得西南戦役の頃迄は交通頻繁運輸殷盛を極めしも世の変遷推移に従い昔時の
山道は文明の時宜に適せず次第に荒廃せるを以て明治四十五年広畑村小山戸島村相図り小山
戸島より保田窪迄該道路一部の改修を為したるも其工事不完全にして未だ交通運輸の全能を
発揮するを得さしの感あるに依り大正十五年に至り熊本市及広畑小山戸島村相図り保田窪よ
り水前寺停車場に至る八百五十七間の改修を為し其総経費一万余円を要し昭和二年三月を以
竣成を告げたり今後交通運輸上全く面目を改むるや期し○見るべきなり尚ほ本道路の完成は
○及び両村当局の尽力多きに居るは勿論地方青年の労力奉仕其他有志者の援助に依ること最
○大なるを忘るべからず依りて茲に其事歴を録し石に刻して長○に記念とす荒尾勝彦撰併書