大山礼子『国会学入門 第2版』

国会学入門

国会学入門

 うーむ、結局読了までに10日もかかってしまった。サクサクと読み進めていくようなスタイルの本ではないのだが。おかげで前半忘れかぶっているような。
 国会の政治過程の特色を、他の先進国の議会と比較しつつ、あぶり出している。日本の国会改革のモデルとして引き合いに出されるイギリスやアメリカのシステムとの違いが大きく、モデルとするなら大陸の議会の方が参考にしやすいと指摘する。憲法のモデルはドイツだし、民法はフランスと、やはり法制に関しては大陸の影響が濃いのかね。大陸モデルにアメリカ流の制度を接ぎ木しているから、いびつという所はありそう。
 議院と内閣の関係の類型。ヨーロッパの議会では「会派」が重要なのに対して日本では自律性がない特殊性。法案審議に対して内閣の発言権がないことの問題点。結果として与党における事前審査が非公開で行われ、玉突きに委員会での審議がアリーナ型となり、本会議が形骸化するという結果を生んでいる。あとは、各国の中で参議院の権限は強く、むしろ「強すぎる参議院」が問題になるという指摘は、現在のねじれ国会の状況を予見していて興味深い。
 国会改革について議論するなら必読の書籍。手続きや決まりごとの意味を理解していないと、結局のところ、見当違いの「改革」になってしまうことが良く分かる。


 以下、メモ:

 国民代表機能とは、国民のなかに存在するさまざまな意見や利害を代表し、調整する機能をいう。議会を他の政府機関と異なるものにしている最大の特徴は、議会が国民代表の機能をもっていることである(「代表」という言葉の意味については、国民代表である議員が有権者の意思に拘束されるのかどうかなどさまざまな議論があるが、ここでは立ち入らないでおく)。議院内閣制のもとでは、国の機関のうち国民の選挙によって選ばれるのは議会だけであることが多い。大統領制の場合は行政府の長である大統領も選挙で選出されるが、大統領という一人の人間が国民各層の異なる利害を多元的に代表するのは無理なので、国民代表機能はやはり議会によって担われることになる。したがって、複数の議員がそれぞれ、さまざまな地域や階層の有権者の意見を反映することが重要であり、もし議員定数を極端に減らすような改革が行われるとしたら、議会の国民代表機能を著しく損なうことになるだろう。p.16

 最近は議員の削減が流行りだけどな…

 アメリカの政治学者ネルソン・ポルスビーは、議会を変換型議会(transformative legislature)とアリーナ型議会(legislative arena)という二つの類型に分類した。変換型議会とは、議会に持ち込まれる社会のさまざまな問題を議論し、法律という形式に変換してアウトプットする機能に重点を置いた実務型の議会のことで、他方、アリーナ型議会とは、議会を闘技場(アリーナ)あるいは劇場のような存在ととらえ、そこで演じられる議員の弁論が審議の中心となっているタイプの議会をいう。ポルスビーによれば、変換型議会の典型がアメリ連邦議会であるのに対して、アリーナ型の代表はイギリス議会とされているが、与党と野党の区別が存在する議院内閣制下の議会はいずれもアリーナ型の要素を持つので、この分類は大統領制下の議会と議院内閣制下の議会を比較したものと考えたほうがよいかもしれない。p.21-2

 整然と分けられるような話ではないような気もするが。

 フランスやドイツの議会において、与党会派が比較的自由に活動し、政府法案の修正に積極的なのは、政府が議事運営に関与しているため、法案審議の段階に入った後でも政府と与党会派との折衝が可能であるからだといえよう。とくにフランスでは政府の権限が強く、下院では最終的には政府が法案に信任をかけるという手続(フランス憲法第四九条三項)により、与党会派の異議を抑えて政府提出法案の通過を図る手段が確保されている。そのため、かえってある段階に達するまでは与党会派内の自由な議論を許容することができるのである。
 ところが日本の国会では、内閣は議事運営に介入できず、法案提出後は国会の審議を見守るほかない。しかし、法案審議を衆参それぞれの与党会派の自律性に委ねてしまっては、内閣提出法案の成立にこぎつける保証はないので、内閣の介入に代わる手段を模索する必要が生じた。与党の国会対策委員会が衆参両方の与党会派を指導する現行の議事運営は、内閣不在の議会で、内閣提出法案の成立を確保するための工夫の産物ととらえることができる。法案の審議過程については第3章で改めて検討するが、現在の議事運営では、法案の国会提出以前に与党の法案審査を実施して、フランスやドイツであれば議会の審議過程で行われるはずの与党議員による法案修正作業を決着させてしまっている。もし国会審議の過程で法案修正を行おうとしても、そこには内閣の参加はなく、したがって内閣と与党との協議によって妥協を図ることができない。つまり、法案提出以前の与党審査は、ある意味ではきわめて合理的な政策決定手続といえるのである。p.54-5

 内閣提出法案の立案過程をごくかいつまんで述べると、次のようになる。まず、法案の立案にいたるきっかけは、与党の公約等のにもとづく政治家主導型、各省庁の日常業務のなかからの発想による官僚主導型、外国からの批判を受けての外圧型など、さまざまなケースが考えられるが、法案を実際に起草するのは各省庁の主として中堅職員の役割である。起草段階では、省庁内部の検討によって法案の内容が煮詰められるだけではなく、同時に与野党議員への根回しや外部団体との折衝も並行して進められる。ただし、日本では圧力団体の介入はあったとしても、公式に利害関係者の意見を法案に反映させるルートは比較的限られているように思われる。今後はたとえば地方に大きな影響を及ぼす法案については、国会提出以前に地方自治体の意見を聞く機会を設けることが必要になるだろうし、他の分野でもそうした配慮が重要になるものと予想される。また、場合によっては他省庁との協議も行わなければならず、近年では、複数の省庁の管轄にまたがる内容の法案が増加しているため、省庁間の協議の重要性が増している。p.70

 このあたりの法律の成立過程がブラックボックス化していることは問題だよな。

 議員立法をタイプ別に検討するまえに、諸外国議会における議員立法の現状を紹介しておこう。日本の国会は諸外国議会にくらべて著しく議員立法が低調だという認識が存在するとすれば、それは明らかな誤解であり、誤解のうえに立って議論を進めても妥当な結論は出ないからだ。p.77

 また、内閣法案より議員立法のほうが一般国民の声に敏感かというと、そうともいいきれない。議員立法を政策実現の手段として活用しはじめた経団連は、法案起草ばかりか質問書・答弁書の作成にいたるまで、議員をサポートする体制を整えているという(日本経済新聞二〇〇〇年三月十五日「司法‐経済は問う」)。しかし、このような体制を整備できるのはごく一部の団体だけである。それを国民の声として立法に反映させていくと、露骨に業界寄りの法律ができあがってしまうおそれがある。p.84

 議員立法の話。諸外国と比べて低調というわけではなく、大概の国では成立するのは政府提出の法案なのだとか。あとは、議員立法が圧力団体に左右されやすいという指摘。これは先日の著作権法の改定で露骨にみられた話だな。

 現代の政党に期待されるのは、国民の間の様々な利害の表出・集約機能であり、選挙に際して、実現性と整合性を備えた政策のパッケージを公約として有権者に提示することである。残念なことに、現在の日本の政党は期待される役割を果たしているとはいい難く、有権者には政策を選択する権利が十分与えられていない。そのことが政治不信の最大の原因であろう。したがって、いま政党が実行すべきことは、党議拘束の廃止どころか、きちんとした公約を提示し、それを所属議員にも守らせることではないだろうか。その場合に、議員を拘束する党議がどのようにして決定されたか、つまり党内民主主義の有無が重要な前提になることはいうまでもない。p.142-3

 困ったことに、そのようなパッケージを提示しようとする試みが、民主党政権と共に挫折してしまったという。