こちらも、上の中村汀女句碑に近接して建っているもの。こちらは夏目漱石に句。江津湖で行われていた四手網での白魚漁を詠んだ句なのだそうだ。当時は、そういう生業が成り立っていたんだな。
石碑正面
ふるひ寄せて 漱石
白魚崩れん
許りなり
石碑裏面
「ふるひ寄せて白魚崩れん許りなり」
文豪夏目漱石は、明治二十九年四月第五高等学校(現熊本大学)講師として
来熊、三十三年まで滞在した。東大出の厳格な英語教師として熱心に学生を
指導する中、余暇を利用して俳句を楽しみ、千句に近い作品を残している。
漱石は親友の正岡子規を俳句の師と仰ぎ、子規の写生説を基本にしながら、そ
の博識、豊かな連想を生かして自在に俳句を作り、近代の知識人の内奥を伝え
る独自の俳句をの世界を詠出している。
この句は、明治三十年の作で、かつては江津湖でもよくみられた「四つ手」
網漁の一コマで、網の中で白魚がふるい寄せられ、全身ではねる時の小さな
活力に注目している。漱石には小さな可憐なものへの愛着が強かったようだ。
'96くまもと漱石博推進100人委員会設置
一九九七年三月