前間孝則『ホンダジェット:開発リーダーが語る30年の全軌跡』

ホンダジェット: 開発リーダーが語る30年の全軌跡

ホンダジェット: 開発リーダーが語る30年の全軌跡

 昨年の今頃出版された本。紆余曲折を経て、ホンダジェットが販売され始める直前まで。今年になって引渡しも始まったが、昨年前半あたりまでの状況を紹介する。
 ビジネス機といえば、三菱がMU-2やMU-300で挑んであえなく敗れ去っているが、ホンダの方が有利な条件は多かったのかもな。すでにアメリカに現地法人や自動車の販売網を持ち、さらに研究開発そのものも、かなりの部分をアメリカでやっている。三菱が日本で開発を行ったのに比べると、信用の点で、かなり有利だったのではないだろうか。
 まあ、時代性もあるのだろうけど。70年代の日本企業への技術の評価と現在の日本企業に対する技術の評価はかなり大きいだろうし、70年代あたりまでは各種の非関税障壁が大きかった。というか、三菱はいびり出された感が大きいな。
 最初に紹介されるビジネスジェット市場の紹介が、ホンダの航空機事業参入の難しさを浮き彫りにしている。景気変動によって極端に需要が変動する一方で、巨額の開発費用をつぎ込まなくてはならない。積極的にリスクをとった経営判断が必要とされる分野であり、「スポーティーゲーム」と呼ばれる。確かに、小型民間飛行機の主要な企業を見ても、頻繁に買収されたり、破産したりしているんだよな。一方で、ビジネスジェットについては、フラクショナル・オーナーシップと呼ばれる共同所有形態の普及、チャーターによるエア・タクシーの価格低下、セキュリティチェックや乗換えをスキップして目的地に直行できるなどのメリットから、需要の拡大が見込まれるという。確かに、一時間あたり375〜500ドルで利便性が高いなら、競争力が出てくるか。アメリカのビジネスジェット利用の60%が中間管理職で、20%が専門技術者と、利用の一般化が進んでいると。このような市場状況が、参入を正当化したわけか。日本で、こういう状況になるには、首都圏で空港が増えるとか、発着枠が激増するとかしないと無理だろうな。つーか、新幹線が強すぎる気もする。地方空港が、こういう需要を取り込むのもありかな。


 第1章以降は、ホンダジェットに向かう、ホンダでの航空機開発の歴史。エンジンにしろ、機体にしろ、基礎となる研究は、90年代に行われたのだな。しかしまあ、一からものになるところまで作ったのがすごいな。それ以前に自動車用エンジンのターボやガスタービン、複合材ボディの研究といった蓄積が多少あったにせよ。そこで、各種の設計やテストのシミュレーションソフトの製作といった技術的蓄積を行い、ホンダジェットにつなげる。93年のMH-02が前進翼、全複合材製と挑戦的な航空機だった。それを元に、商品化可能なタイプの飛行機に落とし込んでいく。
 ホンダジェットの武器は、胴体や主翼といった部分ごとではなく、機体の各要素の干渉も含めた全体で空力性能の向上。それに伴う、主翼上にエンジンをマウントする独特の機体構成。新開発された自然層流翼と言ったところが、ホンダジェットの強みか。新規参入組だけに、90年代以降の、新しい技術を導入できたのが大きいのだろうな。既存のビジネスジェットが70年代あたりの技術を使っているから、速度やキャビン容積、騒音などで優位に立てる。ただ、今後、新しいライバルが投入されてくる中で、次の一手はどうなるんだろうな。速度では、あまり変わらない機種が出てくるようだが。
 あとは、大量生産の文化の違い。自動車産業の大量生産技術に比べると、大幅に生産量が少ない飛行機では、細かい品質管理などで劣ると。細かい仕上がりと言った側面でも、ホンダは有利と。ある程度数が出て、かつ競争相手の大部分がベンチャーの小型ビジネスジェットというのは、自動車産業が進出するには手頃な分野なのかもな。といっても、自動車産業ほど、数も出ないし、市場も安定していないわけだが。つーか、自動車って、あまり景気に左右されない機械なんだな。


 ホンダの企業カルチャーが、この大きな挑戦を可能にしたと、諄々と説かれる。創業者本田宗一郎の空や飛行機への憧れ。終戦後の航空禁止で、自動車産業に分野を変えた航空技術者たち。そして、新たな、目先のものではない技術に投資を続ける、ホンダの企業カルチャー。「モビリティーの可能性を開く企業」という理念が、小型ビジネスジェット開発の軸と支えになったというのが興味深い。さらに、最初の試作機MH-2に見られる、背伸びをして、最新技術を詰め込む。しかる後に、現実的な製品に落とし込むというのも、おもしろい姿勢。
 一方で、巨額の投資を必要とする航空機産業への参入は、チャレンジ精神旺盛なホンダの経営陣をして、逡巡させるものであったと。1996年のMH-02の開発プログラム終了時、そして、ホンダジェットの事業化と、ホンダの飛行機開発が止められる可能性が高かったタイミングがあった。その中で、社是を持ち出し、あるいは、外部に公開し、注目を高めることで商品化に持っていった、ホンダ・エアクラフト社長の藤野道格の粘り腰が印象的。逆に、経営側で、どういう戦略と言うか、認識だったのかという方面で見てもおもしろそう。


 本書は、航空機開発におけるリーダーのあり方というのも、大きなテーマになっている。ゼネラリストで、飛行機全般に目を配れる能力のある人物が必要か。ただ、リージョナル・ジェット以上の大型民間機だと、一人で全部差配するのは、かなり無理があると思うが。その意味では、ボーイングのマニュアルが整備されていて、あちこちから寄せ集めた技術者で形が作れるというのは、まさにそれがボーイングの旅客機商売の肝なんだろうなと。
 あと、ホンダの航空機事業って、藤野が事故で急死したらどうなるんだろうな。一人に権限が集中する怖さ。しばらくは、ホンダジェットで商売ができると思うが、次の一手の構想はどうなっているのだろうかとかも、気になる。


 以下、メモ:

「そういった作業に二年間かけ、理論の部分を実験で実証できて、自分が考えていた理論的な仮定がかなり解明されてきた。九九年の段階で、おそらくこのコンセプトおよび外形形状で間違いないだろうと思いました。こうした実証作業を事前にしっかりやっていたので、それ以後の設計変更は極めて少なかったです」p.111

 設計コンセプトの段階でもめにもめた話。
 このあたり、反発をうけて徹底的に準備する必要があったのが、逆に幸いしたんじゃなかろうか。まあ、矢面にたった藤野氏には、たまったものではなかろうし、ストレスもマッハだったんだろうけど。

 主翼の上にエンジンを置くアイデアに着目したとき、あらためてVFW614の検討を行った。「論文を検討してその設計意図を調べると、この方式を採用したVFW614は、ホンダジェットが目指すような高速時の空気抵抗の低減や性能の向上といった観点を念頭において設計した機体ではなかったことが分かってきました。しかも、キャビンを広くすることも目的としていない。単にランディングギアを短くできることで、乗客の乗降が容易になるといった構造面でのメリットや地上騒音を低減するといったことだけを追及した設計だと理解しました」(藤野)p.121

 翼の上に、エンジンをマウントした先駆者の検討。→VFW 614 (航空機) - Wikipedia

 欧米メーカーの研究者・技術者たちは、仕事が高度な専門に特化していることや、労働組合の取り決めなどからくる制約もあって、通常、このようにフレキシブルで臨機応変な対応は取りにくい。その点、ホンダ エアクラフトは、日本的なスタイルの融通性を持たせた組織でありマネジメントだったのである。p.147

 ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用ってやつか。
 専門分化せず、開発メンバーが、いろいろな仕事を兼務する。ゼネラリストが育つと。ある種、ベンチャー的でもあるな。

「航空機は売った後のアフターサービスの規模が一〇倍ある。二〇〜三〇年の時間軸で考えれば収益にかなり貢献するはず」というのである。
 航空機用エンジンのビジネスは、インクジェットプリンターのビジネスとよく似ている。プリンター本体の販売では十分な利益が上がらなくても、そこで使われるインクは、プリンターが壊れて使えなくなるまで売れ続け、利益もまた上げ続けることができる。
 一方、航空機用エンジンは高温、高回転、高負荷で、使用条件が極めて厳しいだけに、その都度、消耗する部品を交換する必要がある。さらには定期的になされるオーバーホール時には、エンジンメーカーに運び込まれて分解される。その際にはこれまた消耗部品を交換して再組立され、出荷前の運転確認までなされる。こうしたアフターケアの仕事量(工数)が多くて、確実に利益を上げることができるのである。p.188

 航空機エンジンメーカーの商売のやり方。一定の数を売ると、それで何十年と商売ができるか。要は、タービンブレードが売れ続けるって話だよなあ。

 終わりの頃には、機の名称をMU-300(ダイヤモンド?)からビーチジェットに変え、内装も改良してビーチ・エアクラフトのブランドとして売り出していた。ところが、皮肉なものである。ビーチ・エアクラフトに移管した後、ビーチジェットは米空軍の訓練機T-1Aとして採用され、それが弾みになると同時に、米国の景気も急速に回復してきて好況が続き、好調な売れ行きをみせて、現在では派生型機も含めると類型は八〇〇機を超えており、利益を上げることになったのである。p.202

 三菱のMU-300の顛末。
 このあたり、アメリカ航空産業の閉鎖性というか、インサイダー文化というか。軍需に食い込むには、やはり外国企業は難しいのだなと感じる。

 市場が回復してきたこともあり、二〇一二年頃から再び藤野の強気の発言が目立ってきた。
「優先してきた需要が旺盛な米欧に続いて、第三位の市場である国土の広いブラジルも視野に入れて販売戦略を組んでいく。また、国土が広くて経済成長が著しい中国の需要が予想よりも早く立ち上がってくる可能性があるので、注意深く対応していきたいと思います」
 この言葉通り、二〇一五年八月、ブラジルから初の受注(三機)を獲得した。
 年率で七から一〇パーセントもの高い経済成長を遂げてきて、富裕層が急増した中国の市場も活気づき、個人や民間企業が保有する機数は三〇〇機を超している。しかも、米国からの飛来が急増している。このため、日本と違って、中国は従来からの規制を緩和して米国に倣う方式を取り入れることになり、専用のターミナルや駐機場などの整備を進めている。また、販売機数を五年前の六倍に増やし一〇〇機に迫ろうとしている大型ビジネスジェット機の大手メーカー・ガルフストリーム、そしてエンブラエルは中国に修理や整備などカスタマーサポートのための拠点を設けつつある。p.245

 このあたり、ブラジルや中国の景気の減速が顕著になりつつある、2016年からみて、どういうことになるのだろうか。