- 作者: 高野秀行
- 出版社/メーカー: 本の雑誌社
- 発売日: 2013/02/19
- メディア: 単行本
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なんというか、ソマリランドの「平和」とそれが奇跡のバランスで実現されている状況。ものすごく気が短くて、弱い相手から容赦なくむしりとる、荒っぽい人々。「平和」と対極にあるような人々が、世界でも稀なレベルでの平和を実現している状況がおもしろい。両替屋が現金むき出しとか、重要施設でも警備員が銃を持たずに済むとか。つーか、ソマリランドの住人は戦慣れしすぎ。それが逆に紛争を泥沼化させずに、話し合いで手打ちする文化を発展させたのだから、世界はパラドックスに満ちている。
同時に、ソマリランドの平和が、綱渡りで維持されているところも。特に資源がなく、また国際的に承認されていないことが巨額の援助の流入を引き起こさない。これが、腐敗や利権の配分をめぐる争いを引き起こしていない。現地の人がこのまま承認されないほうがいいかもといっているが、確かにそうかも。結局、「氏族」の人的ネットワーク以外に、取り立てて大きな組織文化がない世界だけに、大きな利権があれば氏族間の戦争にしかならないだろうし。まあ、外港が欲しいエチオピアからの日に影にの援助と関税の利権があったりするようだが。
しかし、ソマリ人が、西洋の民主主義を氏族主義によってアレンジして、自生的秩序をきっちり作っているというのがすばらしい。これが長期間維持できれば、地付きの政治秩序が育っていくかもしれないなと期待できる。氏族の長老たちを集めたグルティと選挙で選ぶ衆議院の二院制とか、氏族単位の政党ができないように政党の数を制限して選挙で上位三つを公認政党にするアイデア、氏族単位の議席とか、独創的なアイデアが多数だよな。上からの近代化を目指した日本よか、よっぽど西洋文明のローカライズができているように思う。日本の憲法が、日本国憲法にとどまらず、大日本帝国憲法も、結局はお仕着せであることを考えるとな。
地元の人々と話しまくって、そこからソマリア社会の様相とか、氏族を核にした「民主主義」を描き出したのが素晴らしい。この人の強みは、ドラッグに抵抗がないことだよなあ。カートをバリバリ食って、平気で地元の人々の集まりに入っていっているのがすごい。
あとは、南部ソマリアで外国が介入するたびに、状況が悪化していく状況も興味深い。組む相手を間違えている感というか。イスラム法廷を叩き潰したら、今度はもっと原理主義的なアル・シャバーブの台頭を引き起こしたと。アル・シャバーブは、ソマリア人全体からは支持されていないが、マイノリティーや被差別民族が積極的に支持して、加担している状況も興味深い。
以下、メモ:
だが、この両替屋街はソマリランドの秩序ある独立国家ぶりを示す象徴でもある。なぜなら、いくらインフレがひどいとはいえ、独自の通貨を持つのは大変なことだ。初期費用は相当の額だったろうし、イギリス政府に話を通すだけの外交能力も必要だ。さらに札を定期的に刷って輸送し、きちんと管理する。そして何よりも住民の支持がなければ不可能だ。国軍兵士や警察官を含めて、国家公務員の給料はこのソマリランド・シリングで支払われるのだ。p.37
独自通貨を発行できるんだから、すごいよな。少なくともジンバブエよりは。
要するに氏族は、日本人のような定住民にとっての「住所」もしくは「本籍」みたいなものなのだ。私の実家の住所は「東京都」「八王子市」「北野台」「二丁目」「××番地」である。それを外国人が「どうしてそんなに細かく分かれているんだ?」といえば、私たちはその外国人が馬鹿だと思うだろう。
私たち日本人が重要犯罪で指名手配されたら、出身地、親族、職場のつながりなどでほとんどが捕まるように、ソマリランドでも、掟を破ったら氏族の網を通じて必ず捕まるのである。つまり、氏族間で抗争がないかぎり、治安はとてもよく保たれる仕組みができている。p.90
こういう旧来からの社会秩序が破壊されていないからこそ、自前で国家の建設ができるんだろうな。
わいヤップたちによれば、ソマリランド出身の人は世界中に住んでいる。主にイギリス、アメリカ、オーストラリア、カナダ、それに北欧諸国。彼らはファミリーの結束が固いから、毎月なんと一人五百から千ドルくらい送ってくるという。それでソマリランドの家族十人以上が暮らしていけるらしい。ワイヤッブのような政府の役人でも月給はたった五十ドルというから、その巨額さがわかる。p.123
驚きの仕送り国家。仕送りが重要な国としてはフィリピンが思い起こされるけど、ここまで依存はしていないだろうな。
「俺はね、ときどき、ソマリランドは今の状態がいちばんいいのかもしれないって思うんだよ」
「今の状態って、国際社会に認められていなくて援助も投資も来ないっていう状態?」
「そうだ。南部がめちゃくちゃのままで、ソマリランドは平和になった。植民地とかヘール(掟)とかいろんな原因があるけど、もう一つの理由はソマリランドにカネになるものが何もなかったことだと思うよ」
ワイヤッブが言うには、ソマリランドはもともと産業なんて牧畜しかない。首都のハルゲイサも一時は廃墟になった。こんな貧しくて何もない国だから、利権もない、利権がないから汚職も少ない。土地や財産や権力をめぐる争いも熾烈でない。
「でも、いったん国際社会に認められたらどうなる?援助のカネが来て汚職だらけになる。外の世界からわけのわからないマフィアやアンダーグラウンドのビジネスマンがどっと押し寄せる。そのうちカネや権力をめぐって南部と同じことになるよ…」
ワイヤッブの言うことは瞠目に値した。ソマリランドは「国際社会の無視にもかかわらず自力で和平と民主主義を果たした」のではなく、「国際社会が無視していたから和平と民主主義を実現できた」と言っているからだ。そして「今後も無視しつづけてくれたほうがいいかもしれない」と言っているのだ。p.125-6
半分は正しいよなあ。よそからの介入がなかったから、変にこじれずに平和を実現できた。一方で、独裁国家や蛮族の国ではなく、ちゃんと民主主義政体を実現できたあたりはさすがだと思うけど。
最後のハルゲイサ滞在中、最も有益だったのは国が製作したソマリランド全図を入手できたことだ。びっくりするほど詳細な地図で、私たちが訪れた、戸数が数十戸くらいの小さな集落まで網羅されていた。しかも値段は二十ドルと至って適正・国土計画省で簡単に入手できた。
このレベルの地図を作っている国は、アジア・アフリカでは決して多くない。作っている国のほうが少ないかもしれない。そして作っても「国家機密」という名目で、一般に公開していない国が多々ある。p.127
地図の公開度は、国の民主度というか、まともさを図るバロメーターだけど、すごいな。なまじな先進国より、公開度は高いんじゃなかろうか。これだけで、ソマリランドに好意的になれるな。
人なつっこさゼロであり、それが私をして荒っぽさ以上にソマリ人を苦手にさせている大きな要素だった。私だけではない。今や世界のどんなマイナーな地域に行っても、そこに肩入れして通っている日本人のフリー・ジャーナリストやカメラマンが一人くらいいるものだが、ソマリはこんなにメジャーで土地も広大なのに、誰一人、専門家がいない。それはソマリ人の気質が日本人には合わなすぎるのが大きな理由だと思う。p.167
なかなか大変そうな人々だ…
ここでも働いているのは「やり返されない相手には何をしてもいい」=「やり返される相手には攻撃しない」というソマリの法則である。
日本では自衛艦をソマリア沖に派遣するとき、「もし自衛艦が海賊に攻撃して、逆に恨まれたらそうするのか」という議論が起きた。しかしソマリ的に考えれば、それはないのである。フランスの特殊部隊が海賊を襲い、拉致された船と人員を奪い返したあと、海賊たちは「これからフランスの船は許さない」と発言したが、現実にはフランスの船は極力襲わないようになったという。彼らはイデオロギーや大義名分より、実利を重要視するのである。
「海賊なんて、海でも陸でもどんどん武力で攻撃すればいいんだよ。撲滅にはそれしかない」とワイヤッブや他のソマリランド人がイライラしたように言うのを何度も聞いている。海賊の存在はソマリランドの貿易に大きな足かせになっているから、彼らは先進国や国際社会の生ぬるい対応が歯がゆくてしかたないのだ。p.206
まあ、所詮はビジネスだからな。殺されては割に合わないと。ということは、ロシアのやり方がソマリ人相手には、正しいということか。とはいえ、西側諸国には「文明国」としての矜持があるからなあ。
ここの記述に従えば、海賊事件が起きるたびに海賊の基地であるボサソを砲撃か爆撃するのが一番いいことになるような。損害は海賊に請求しろと言えばいいわけか。
ここでも似たようなことが起きる。義理の息子が内澤氏なら、ワイヤッブに何か起こったとき、彼のコネで内澤氏も援助してくれる可能性がある。
つまり、離婚と再婚により、姻戚がどんどん増えていくのである。敵に襲われたといった有事の際だけでなく、ビジネスや普段の生活でも便利だ。p.215
ソマリ人が結婚と離婚を繰り返す理由。普通、気まずくなると思うのだが、そうではないのだな。
そこまで考えて「そうか!」と私は心の中で叫んだ。今まで謎に満ちていた「ソマリの海賊は外国の裏社会と深く関与している」という意味がわかったのだ。
誰しも海賊に投資する人間は、船の乗っ取り率をいかに上げるか考えるにちがいない。そして、それが外国人の場合、私と同じように自国の船の情報を収集するという作戦に出るだろう。それはおうおうにして自国でも違法な行為となるだろう。p.302
ソマリアの海賊が船の運行情報を個人経由で入手していると言う話か。つーか、この話、結局どうなったんだろう…
アル・シャバーブを積極的に支持しているのは、もっぱらマイノリティなのである。今までメジャー氏族からろくな扱いをされてこなかった人たちが、アル・シャバーブのおかげで日の目を見た。逆に言えば、アル・シャバーブはそういう人たちを利用しているのだ。
もう一つ、前から考えていた仮説が現実感をともなって脳内にはっきり出現した。
アル・シャバーブは、アフガニスタンのタリバン同様、実はイスラム原理主義というより「マオイスト」ではないか? p.380-1
タリバンは国際社会からはイスラム過激派で、カルト集団のように思われているが、現地では相当イメージが違うらしかった。その記者によれば、最初タリバンが登場したときはウォーロードたちの争いが終わり、人々は歓迎したという。そのうち、だんだんやり方が過激になり、不人気になっていったが、今でも一定の支持はあるという。だから、タリバンと和平を結ぶのは現実的であり、現政権もそれを考えているはずだよいう。
実際、私が自分で田舎を訪れると、その意味がわかった。
タリバンはとんでもないと国際社会では言われる。
テレビ、音楽、映画、写真撮影、サッカー観戦、飲酒、親族以外の男女が会話すること……そういったことを全面的に禁止した。逆らえば殺される。とくにそう訴えるアフガン人が都市部のインテリの人たちだから、説得力をもって聞こえた。
だが、田舎に行けば、どうか。電気がない。したがってテレビもラジカセもない。カメラも写真屋もない。酒を出すようなレストランもないし、映画館もない。男女が二人きりでデートするような環境でもない。
要するに、村の人たちにとって、タリバンの「カルト的な禁止事項」はいっこうにくにならないのだ。逆らう必要がないから罰を受けたり殺されることもない。p.387
なるほどなあ。「都市」の否定ではあるけど、田舎では普通と。ただ、「音楽の禁止」がどういう範囲かは気になる。自分たちで歌って楽しむ民族音楽とか、芸能はどうなっているのだろうか。それらは「西洋的」ではないから、禁止事項に含まれないのだろうか。
サウジの人間はオイル・マネーで潤っている。世界中にワッハーブ派のモスクやマドラサ(イスラム学校)を建てまくっている。
現にソマリランドでもワッハーブ派のモスクやマドラサがどんどん建設されている。学校は学費が全くかからない(もしくはひじょうに安い)から、親も子供を行かせやすい。ワッハーブのモスクに通えば、サウジの人間や会社とコネができ、ビジネスにもひじょうに都合がいい。あの世俗派のワイヤッブでさえ、この経済メリットに誘われ、つい長男をワッハーブのマドラサに通わせてしまい、今ではひじょうに後悔している。
主にそういう「世俗的」な理由で、ソマリランドやプントランドでも「原理主義化」が進んでいる。南部ソマリアについても、私が聞いたかぎりでは同じ状況のようだ。p.383
サウジアラビアのワッハーブ派の輸出は本当に困ったもの。世界中であれなイスラム原理主義を育てている。本当の癌はサウジなんだよなあ。
サウジは原理主義の国だが、深く追求していけば、矛盾が多々ある。最大の矛盾は、「なぜサウジ家という単なる一家族が国民を支配しているのかイスラム的に説明できない」というところだ。もう、これはイスラム国家永遠の課題なのである。p.384-5
実際、イスラムに国家思想がないことが、不安定な国家を生んでいるとはよく指摘されるな。それに変わるイデオロギーとしての「アラブ民族主義」も破綻して久しいし。
つーか、イスラム世界の国家とか、政権って本当にもろいよなあ。初期のイスラム帝国とオスマン・トルコ以外では、100年以上続いた国って、ごく少ないんじゃなかろうか。
トラブルを起こせば起こすだけ、カネが外から送られてくる。誰も真剣にトラブルを止めようと思うはずがない。プントランドが海賊を基幹産業としているのと同じで、モガディショはトラブル全般が基幹産業なのである。
「トラブルが基幹産業」とは南部ソマリア全般に言えるのかもしれないが、なにしろ他の地域は外国からアクセスが悪い。モガディショは空港も港もあり、そして首都である。とりあえずモノも人もカネもここに落ちてくる。だから、みんなして、モガディショに殺到し、落ちてきたモノを奪い合う。だから、戦争が終わらない。モガディショは都であり、ここを取った者が勝者になるのだ。p.392
うーむ。
日本人も揉めごとが起きたとき第三者が仲介するがソマリとは方向が百八十度ちがう。日本の場合、当事者はより「上」の人に仲介を頼む。裁判所、町の有力者、「国」、一族の中でいちばんえらい人といったように、とにかく「権威」に頼る。「お上」とはよく言ったものだ。そして、決定が下されたとき、決定内容が不服でも、その権威に従うことをよしとする。p.438
まあ、中世には、そんな簡単なものじゃなかったわけだが。決定が不服なら、従わないとか、別の手づるを浸かって有利に運ぼうとするとか。
もう一つ、私が勘違いしていたことがあった。憲法や憲章についてだ。一回目の内戦後のボラマ大会議でも二回目の内戦後のハルゲイサ大会議でも、みんなで何ヵ月も話し合ったのは憲章や憲法の条項だったという。
民兵が入り乱れて殺戮し合うという北斗の拳じみた戦いをしていた人たちが「憲法」とか「憲章」とかにそんなにこだわったりするのか。先生がソマリランドを美化するために書いた「建前」じゃないかと疑っていたのである。
でも、実際には憲法・憲章は、戦いをやめて、ソマリランド共和国を一緒に運営していくための「契約書」なのである。言い換えれば、ソマリランドの憲法は全氏族がサインした「ヘール(契約)」となる。もちろん、ソマリの伝統に則っているのだ。p.448-9
正しく「社会契約」だな。