林譲治『太平洋戦争のロジスティクス:日本軍は兵站補給を軽視したか』

 陸海軍の兵站システム全般を解説した本。日本軍の中央から部隊に至る物資補給の概略を知るには便利な書物だと思う。概略から始まって、物資の調達製造保管を担う糧秣廠、陸海軍の経理部門と養成機関、実際の輸送を担う部隊や組織、輸送に使われる各種の機材の紹介。そして、最後に実戦でどのように兵站が運用されたかの実例として、緒戦のマレー半島での作戦と後期のインパール作戦を紹介する。つーか、マレー作戦って兵力が英軍の倍、航空戦力は四倍。普通に勝てる戦だよなあ。あと、マレー作戦に投入された師団が自動車化が進んでいた部隊で、それが快進撃を可能にしたというのも興味深い。兵站の中心は輸送ではなく、それ以前の「計画」であるというのがなるほどと。
 一方で、何度も日本軍が兵站を軽視していたわけではないと主張するが、全体を通読して、重視していたとも言い難いように思った。そもそも、第一次世界大戦後の陸軍のテーマが、総力戦に対応できる軍を建設することだったんだから、急拡張に対応できなかったことというのは、言い訳にならないと思うのだが。経理局が重要な意思決定から排除されていたというのも、その証左ではなかろうか。まあ、緒戦の段階では、常識的なレベルの補給体制を構築していたというのも確かなわけだが。


 以下、メモ:

 一般的なイメージと異なり、兵站補給業務の中心は輸送ではなく計画であり、その意味において輜重兵ではなく軍や師団の経理部こどが兵站補給の担い手なのである。もちろん兵站補給において直接の輸送任務に従事する輜重兵の重要性は変わらない。しかし、それでもやはり兵站補給の中心にいるのは経理部であるのは動かない。なぜならば兵站補給とは、必要な時に、必要な物資を、必要な量だけ、必要とされる場所(部隊)に供給することだからである。時間と種類と量と場所、これらの条件を最適なものとするためにこそ、綿密な計画が必要とされるのである。p.43

 計画こそが業務の中心と。

 ただ陸軍省経理局は予算を主管していたものの、陸軍省内での発言力はそれほど強くはなかった。予算面で本当に発言力があったのは陸軍省で編成や演習などを担当する軍務局であった。純粋な作戦と人事以外の重要事項一切を軍務局が担当したため、経理局といえども予算の中心に及ぼせる影響力は限定的だった。極論すれば、軍務局が決定した予算枠で具体的な実務処理を行うのが経理局だったのだ。p.115

 それって、やっぱり兵站軽視なんじゃ…

 トヨタ自動車工業は、水陸両用車を開発するに当たり、最初はKC型の車体をベースとしていた。水陸両用トラックは船型をしており、水上ではスクリューにより航行した。だが試作実験では上陸時に砂に車輪をとられるなどしたため、ベースとする車体をKCY型に変更し、一応の完成をみた。トヨタ社内ではこれをスキ車と呼んでいたらしい。
 第四陸軍技術研究所は愛知県三河湾西浦で各種の試験を行い、軍用に耐えるものと認められた。同年一一月から翌年九月までの間に一九八台が製造され、陸軍に納入された。
 ただこの特殊車両がどの程度活躍したかは明らかではない。p.194

 日本で開発された水陸両用トラック。198台って、意外とまとまった数が生産されていたんだな。まあ、1943年登場だと、活躍できる場所も限られていただろうけど。

 船の質については、単に設計だけの問題には留まらなかった。第二次戦時標準船以降から顕著になるのは、造船に携わる工員の問題だった。熟練工の召集・入営により、造船所には熟練者が不足していた。このため通常なら技能訓練に三ヶ月から半年を要するが、徴用工や学徒、囚人に一ヶ月の速成教育を施しただけで生産現場に投入するようなことさえ行なわれた。p.242-3

 まあ、それを言うなら、アメリカの戦時標準船建造の現場でも、女性が働いていたそうだけど。自動溶接機械を開発して対応したんだっけ。そこに国力の差があるな。

 日本軍の自動車及び鹵獲自動車の修理・整備を担当したのは第二三野戦自動車廠であった。この部隊は遺棄自動車の燃料タンクからガソリンを抜き取り、それらを集めて前線に補給するようなことも行なった。さらに興味深いのは、廠長の高屋守三郎大佐の行動である。同大佐は、遺棄自動車の走行距離と燃料残量から統計的にイギリス軍の給油場所を割り出し、その付近を捜索することで三〇〇〇‐四〇〇〇本のドラム缶を発見したという。
 先に二七〇〇台以上の鹵獲車両の戦力化と書いたが、実際には遺棄自動車の多くはマレー半島からシンガポールに至る地域に分散しており、その回収作業は容易ではなかった。マレー半島の要地に部隊を駐屯させるほか、移動修理班を編成し、各地を転戦させるなどの作業が行なわれた。これらの作業が終了し、高屋廠長が転出したのは、一九四二年一一月のことであった。p.264

 マレー作戦での自動車修理廠の活躍。