コンスタンチン・サルキソフ『もうひとつの日露戦争:新発見・バルチック艦隊提督の手紙から』

もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から (朝日選書)

もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から (朝日選書)

 ロジェストヴェンスキー提督が遠征航海中に奥さんに送った手紙の解読と解説を中心に、ロシア側から見た日露戦争といった感じの本。第一部は日露戦争前史。大津事件でニコライ二世が必ずしも日本に悪意を持たなかったとか、皇帝自身は戦争をするつもりはなかったが出先との意思疎通が機能していなかった状況が紹介される。対日戦争に関するロシア指導部の分裂は、横手慎二『日露戦争史』でも紹介されている。第二部は、本書の中核であるロジェストヴェンスキー提督の手紙とバルチック艦隊の東アジア航海。第三部は、戦後の話。日本とロシアが地政学的な利害を共有し、第一次世界大戦中を中心に同盟関係を深めていった姿。あるいは、日露戦後、日本世論が割とロシアに好意的であったとか。確かに、日本とロシアは地政学的に利害を共有するところはあるのかもしれないが、ここ数年のプーチン政権の姿を見ていると、ちょっとお近づきになるのは難しい感じが。
 やはり、本書の中核にして、最も興味深いのは、ロジェストヴェンスキー提督の手紙。この当時、大規模な艦隊を長駆派遣することは難業であったとは、よく言われるが、どのように大変だったのかリアルに知ることができる。あと、提督が、軍事的状況や艦隊統率の苦境を、家族に率直に書き送っているのが興味深い。この時代、機密とか、割と無頓着だったのだろうか。ロシア海軍の首脳部とその家族が、緊密なサークルを作っていた様子も見て取れる。
 この当時の石炭を燃料にする軍艦が航続距離が短かったこと。そのため、頻繁に石炭補給をする必要があったが、英仏などの協力が得られず、限られた時間の中で給炭を行う必要に迫られたこと。また、出先で大きな損傷を受けた場合、出先で修理が不可能であること。これらが、重くのしかかってくる。艦船の故障は頻発する。海図などが整備されていない状況で、沿岸を航行することの危険。喫水の深い戦艦が座礁するのではないかと、ヒヤヒヤしながら遠征を続けている様子が見て取れる。ドッガーバンク事件で、イギリスがあからさまに介入する口実を作ってしまったこと、本国や分遣隊との連絡がままならないことも、問題に拍車をかける。
 さらに、アフリカを回りマダガスカルに到着すると、旅順の太平洋艦隊の壊滅の知らせ。太平洋艦隊が一線級部隊で、二線級の艦船と乗員をかき集めたにすぎないバルチック艦隊の前途に暗雲が漂う。ロシア国内の混乱によって、バルチック艦隊をどうするか方針が定まらない中、徐々に将兵の士気が低下していく。その中で、提督の意思のみが、艦隊の崩壊を防ぎ続ける。劣勢の戦力の中、旅順包囲で消耗した日本艦隊の戦力が回復する前に日本に接近する、勝機は時間の中にしかなかった。それにもかかわらず、時間を空費する苦悩。最終的に、負けるとわかっている戦いに突っ込んでいくことになる。ベトナムで出した手紙の、消耗しきった感じ、早く終わってくれといった表現が心を突く。ロジェストヴェンスキー提督にとっては、あのルートしか、特に日本近海では、あえて敵の牙の中に飛び込んでいくしかなかった状況がよく分かる。
 あえて、IFを考えるなら、全艦隊スエズ運河コースを取っていたら、旅順陥落の時点での撤退の結論も出しやすかったのではないだろうかと思った。ロシア王室とギリシア王室の血縁関係から、ギリシアを通信や積み下ろしの拠点に使うこともできただろうし。イギリスも、運河通過そのものは拒否しなかったわけだし。喫水の深い戦艦などが運河の施設を傷める可能性があるので、搭載品をいったん下ろして積みなおすように要求され、そのためにかかる時間よりも、アフリカを周回したほうが早いということで、史実のルートが選択されたわけだが。後知恵だが、スエズ周辺ですったもんだしてたなら、見切りもしやすかっただろうし。
 海戦でワンサイドゲームを喫したため、ロジェストヴェンスキー提督の評価は低くなってしまっているが、大規模な艦隊を万難を排して引き連れていくことができる程度には有能な人物だったと。他の提督では、負け必定の情勢の中、軍組織の解体を防ぐことができたかどうか怪しいと。あと、下世話な話だが、奥さんが女性関係で文句を言って、離婚すると書き送っていた家庭環境も興味深いな。

 タンジールの錨泊地で艦隊が待ち望んでいたのは、冷凍船「エスペランス」の到着だった。この船の冷凍庫の中には、冷凍肉四千トンが貯蔵されていた。
 船の歴史を回顧するとき、冷凍船という特殊な能力を持つ船が十九世紀の最後の四半世紀に構想され、実現していたことに驚かされる。
 冷凍技術は、十九世紀後半に入ると、フランス、英国の科学者がアンモニアやメチルエーテルを冷媒として使い、開発された。『船の歴史文化図鑑』(ブライアン・レイヴァリ著、増田義郎・武田摩利共訳、悠書館、二〇〇七年)によれば、一八七六年から七七年にかけ、「フルゴリフィーク」(冷凍庫)と名付けた船に冷凍庫三基を設置し、ブエノスアイレス(アルゼンチン)からルーアン(フランス)まで冷凍肉を輸送したのが史上最初の船による食品の冷凍輸送だと紹介している。
 一八八〇年には、冷凍庫を備えた貨物船「ストラスリーヴェン」が牛肉と羊肉三十四トンをオーストラリアからロンドンに運び、保存状態が極めてよかったことが記録されている。一八八四年に世界で初めての冷凍専用船「エルダースリー」が建造され、主としてニュージーランド、オーストラリアと英国の間の食肉輸送に携わったという。p.133-4

 バルチック艦隊の東洋遠征に、冷凍船が重要だったと。これがなかったら、途中で食料品が尽きていたかもな。冷凍船というのは、興味深いな。これが、アルゼンチンが20世紀前半に富裕な国家になる基盤をつくったわけだし。