川田順造『〈運ぶヒト〉の人類学』

 日本、フランス、西アフリカのそれぞれの文化の差異を、身体的な形質や「身体技法」、それと関連した道具の扱い方といった点から炙り出している本。生体運動学の研究者との共同研究の結果を、簡潔にまとめたもののようだ。
 アフリカでは、「人間の道具化」、日本では「道具の人間化」、フランスでは「道具の脱人間化」という特徴が見られるという。
 アフリカ人は、四肢が相対的に長く、骨盤が前傾し、ハムストリングが長い。結果、前屈姿勢や投げ足姿勢をとるのが比較的楽である。そのため、単純な道具を、前屈姿勢などで利用するパターンが多い。運搬においても、頭の上に乗せて運ぶことが多く、「運搬具」を必要としない。
 フランス人は、肩と上腕の相対的発達と腕や上体を伸ばすスポーツの発展などの特徴があり、重心の高い背負い具や腕に下げる籠、前に回して腰でささえる道具を使用する。また、運搬具に関しては、非常に多様化し、機能の特化した装置を用いて、運搬を確実容易にしている。人間の技能に依存せず、道具を工夫して、誰でも同じようにできるようにする志向が見られる。
 日本人などモンゴロイドでは、相対的に短い四肢、腰を中心に引きつける型、蹲踞と正座の多用などの身体的特徴があり、肩で支える棒運搬や前頭帯運搬の発達が見られる。「日本人」に関しては、体に良くなじむ比較的単純な道具を、使う人間の高度な技能を重視する志向が見られる。運搬具に関しては、シンプルな天秤棒が発達する。天秤棒は東アジア一体にみられ、モンゴロイドでも南米先住民は前頭帯を使うといった差異が存在する。
 比較対象になった三者で、身体技法や道具のあり方にここまで鮮明なコントラストが存在するのがおもしろいな。ただ、気になるのは時代性があまりないこと。特に、日欧の道具に対する感覚の違い、日本では扱う人間の側の洗練を重視し、ヨーロッパでは道具を工夫し人による結果の差が出ないようにする、という見方は、18‐19世紀の生態的条件の違いがけっこう大きいのではないだろうか。人口密度とそれに伴う雇用構造の違い、エネルギー供給の問題などはけっこう大きいのではないだろうか。あるいは、ヨーロッパのアメリカやアジアアフリカへの拡大など。
 また、ヨーロッパ人、西アフリカ人に対して、「モンゴロイド」という比較単位が大きすぎるのが気になる。もっと細分化するべきなのではないだろうか。あと、東アジアの道具に対する感性や身体技法の共通性を析出する必要があるように思う。
 子育て用具の、それぞれの文化での違いなんかもおもしろい。あと、韓国と日本の運搬具の重心の測定など。
 なんか、けっこう字が大きい。あと、ページ数も少なめ。