石井正紀『石油技術者たちの太平洋戦争:戦争は石油に始まり石油に終わった』

石油技術者たちの太平洋戦争―戦争は石油に始まり石油に終わった (光人社NF文庫)

石油技術者たちの太平洋戦争―戦争は石油に始まり石油に終わった (光人社NF文庫)

 落下傘部隊の降下作戦で有名なパレンバン油田について、占領の準備段階から復員にいたるまでを描いている。徴用され生産や設備の修復維持に従事した技術者や女性事務員などへのインタビューを素材としている。
 開戦前、国内の石油技術者と鑿井機を根こそぎ動員して南方での石油資源確保の準備を行ったこと。落下傘部隊の編成とパレンバンでの降下作戦の状況、製油所の復旧と積み出し、大戦後半石油施設が攻撃目標となってから、軍属と軍人の確執、敗戦後復員するまで。おおよそ時系列に描かれる。
 どこまで隠せていたか知らないが、開戦を前にして、国内の油井用設備や人員の動員に際して、防諜に注意が払われたこと。パレンバン降下までのすったもんだ。必死の復旧。開戦にさいして、いかに石油資源の確保を重視していたかが窺える。
 一方で、後半に詳述されるが、陸軍の人事面での硬直性も顕著。それが軍人と軍属の確執へとつながっていく。技術者を、軍隊組織に取り込んで、自由に動けるようにしなかったのは、日本の弱さだよな。で、経験のある技術者は使いにくいから、自前で養成しようと図って、未熟な人間を送り込む。アメリカが民間技術者を軍組織に取り込んで活用しているのに比べると対照的。まあ、アメリカでも、軋轢はあったと思うが。あと、軍属への態度の悪さとか、軍紀の弛緩ぶりとか。実際のところ、日本軍の資質は、上下ともにかなり劣悪だったんじゃなかろうか。南方でのしぶとい抵抗ぶりで過大評価されているだけなんじゃと思わずにはいられない。
 現場の創意工夫を、兵科の軍人が邪魔をするという点では、健軍の三菱工場でも工場に配属された下士官が、現場の創意工夫を妨害したと非難されていたな。軍属への態度を含め、そういう態度が、大学生の志願の低さみたいな、全社会的な協力体制を阻害したんじゃなかろうか。
 戦後の状況も興味深い。終戦直後には、オランダ軍が弱体であったため、パレンバンでは日本軍が指揮系統を維持したまま、連合軍の指揮下に入る状況であった。現地人の独立運動の方が、オランダ人には、当初脅威であった。現地住民の蜂起やそれとの戦闘、さらにオランダ軍と独立派の戦闘などが紹介される。さらに、オランダの報復的な戦犯捜査など。戦後、連合軍の日本軍捕虜への待遇はかなり悪かったんだな。ソ連だけじゃなく、西側も。このあたり、つついたら、人権問題として提起できそうな。
 石油関係者の犠牲の多さも意外。7000人ほど徴用された石油施設運営の軍属のうち、死者が1600人も出ている。後方での作業に従事していた人々のはずなのに。死者の1/3が、阿波丸撃沈時の死者とはいえ、1000人以上が戦闘に巻き込まれて命を落としたことになる。ビルマボルネオ島、ビアク島の死者が主のようだ。ビルマなどは、前線部隊はさっさと撤退して、石油部隊は取り残されるとか、もうね。あと、戦後の待遇の悪さも。商船関係も非常に多数の犠牲者を出しながら、補償もろくになかったわけだし、日本国の酷薄さを感じさせる。


 以下、メモ:

 記録によれば、ロータリー式一一八基、綱堀式一五基の計一三三基の作井機が、「計画変更」とか「休坑」といった名目で陸軍に供出され、ひさかに荷造りされて南方に積み出された。また、一説には、政府から補助金を得て試掘していた油井からは、九〇パーセントが取りはずされたという。まさに、日本中の作井機が消えたといってよい。
 それも、監督官庁の商工省に一言の断りもない勝手な行動であったから、商工省の燃料局は目の色を変えたし、「俺の会社をどうしてくれるのだ」と、日本石油の橋本圭三郎社長は、色をなして陸軍省へ乗り込んだ。p.44-5

 軍隊の横暴ぶり。こういうことやってるから、戦後嫌われたんだろうな。あと、結果論だけど、日本国内に作井機を残しておいたほうが、海運の途絶を考えるとよかったんじゃなかろうか。

 掃海には、数多くの木造船が従事していた。遠く沖縄、台湾から徴用されたカツオ船である。機雷の撤収のためには木造であることが必要だったわけであるが、それにしても、小さな船で赤道をこえて南溟にき、銃火飛び交う中をいとうこともなく、ただひたすら掃海のために活動する漁師たちの姿は雄々しかった。甲板からその姿を見た玉置は、驚きと畏怖の念をもって、決して忘れまいと脳裏に刻み込んだ。p.101

 戦う漁船。進軍先の掃海は、徴用漁船を使用したのか。しかし、ここで出てきた漁師たち、帰国できたのかなあ…

 陸海軍がおのおのの独自の石油供給源と供給量に対する統制力を持ったことは、やはり問題であった。しかも、陸軍が供給源の大半を支配し、悪いことに最大の消費者は海軍であったこと、その上、油送に必要なタンカーは海軍が押さえていたのであるから、事情はさらに複雑になり、これらのことが大きな問題点として顕在化するまでに、たいして時間はかからなかった。p.136

 榎本は海軍の技術将官の身分のまま、陸軍の南方軍兼務という異例の立場に立って、陸海軍間の調整役を努めた。しかし、所詮は南方油田を押さえた陸軍の立場をくずすことはできず、石油積み出しの管理は、陸軍の言いなりになることが多かった。イニシアチブは陸軍が握っていたのである。
 それでなくとも陸軍の言いなりという不満に加えて、海軍としては頭の痛いことがもう一点あった。昭和十七年六月のミッドウェー海戦、八月以降の数次にわたるソロモン海戦と、大きな海戦により燃料の消費量はうなぎ登りとなっており、すでに自軍の供給源ではまったく不足という事態になっていた。
 敗戦以上にショックだったのは、じつは海戦にともなう莫大な燃料消費という事実の方であった。開戦第一年の消費予測二八〇万キロリットルに対して、実際の消費は四八五万キロリットルにおよんでいた。そのため、開戦後一年足らずにして、すでに石油供給の大半を陸軍に嘆願するという苦しい立場におかれた。
 そんな状況下で、陸海軍の立場を如実に示す一事件がパレンバンで起こった。黒潮丸事件である。
 十一月のある日、海軍のタンカー黒潮丸ほか一隻が、何の予告もなしにパレンバンに入港してきた。海軍は時あたかもソロモン海域で死闘中であり、バリクパパンでの給油が不可能だったので、急遽、事前連絡なしに補給を求めてパレンバンへ来たというわけであった。
 しかし、パレンバンでの海軍側への補給は、本廠により船腹割り当てが決められており、支廠長の一存で割り当てを変えるわけにはいかなかった。許可願いを本廠へ打電したが、予定外の補給は東京に請訓し、陸海軍石油委員会での協議事項になるので、返事は一週間ほど要することになる。
 海戦はそれまで待ってくれるはずはなく、中村支廠長は武士の情けで、一日滞船した時点で、独断で給油を命じた。喜んだ海軍の担当将校は、船がブルン島の島陰にかくれるまで、ブリッジに立って帽子を振っていた。
 支廠長はむろん、第二製油所の責任者だった十川少佐にしても、作戦要務令(陣中勤務、および諸兵の戦闘に関して、基礎となるべき準拠を示したもの)に認められた「独断の適例」であり、上層部もやむを得ない処置と認めるものと確信していた。(以上、十川透『石油より見た大東亜戦争』)
 しかし、本廠からは、
「今後、一ドラム缶といえども、許可なくして海軍への給油まかりならぬ」
 と、支廠長の越権行為に対して厳しい叱責があった。
 こんあこともあり、海軍側では、のちにUSSBSに対して、
「陸軍は故意に海軍を石油不足に陥れたことは間違いない」
 と供述する関係者が出るほどに、陸軍に対する強い不信の念をいだくことになったが、石油不足に関しては、海軍側にも大いなる責任があった。p.137-139

 しかし、実際の消費量は、一年で四八五万キロリットルに達した。しかも、補給はといえば、パレンバンでの黒潮丸事件にはからずも現われたように、まことに心もとない状況であった。そのため、海軍は慌てふためき、それまでの作戦、戦術を大きく変更したが、それがかえって悪い結果をまねくというジレンマに悩むようになってしまった。
 海軍派その戦術をどのように変えたのか、いくつかの例を挙げてみる。
 (1)燃料効率を高めるために艦船の速度を経済速度に押さえるようにした。その結果、肝心の戦闘に間に合わないという事態が起こるようになった。
 (2)タンカー不足から洋上給油を最小限にとどめるようになった。そのため、艦隊としての効率的な統合や航路選定ができず、みすみす敵方の術中に陥ることになった。
 (3)訓練用ガソリンの節約から、パイロットの練度が極端に落ち込んだ。それに加えて偵察不足、警戒不足にもなり、結果的に敗戦に結びつくようになった。
 (4)掃海にも手を抜くようになり、湾内でのタンカー損失が増大した。
 (5)燃料不足から片道飛行を強いるようになった。また、アルコールの混合燃料や底オクタン価の質の落ちるガソリンの使用により、戦闘以外の原因によって航空機が喪失するようになった。p.152

 「総力戦」が聞いてあきれる。海軍の兵站に関する考えの甘さ。小谷賢『日本軍のインテリジェンス』で海軍の諜報活動のグダグダっぷりが描かれていたが、本当に艦隊決戦以外は何も考えていなかったんだな。で、艦隊決戦も微妙というアレさ加減。せめて、事前の見積もりくらいちゃんとできなかったのかね。
 それに加えて、陸軍のセクショナリズム。激戦の最中にも、面子優先か。まあ、石油需給の全体を見回したときに、いろいろと別の見方ができるかもしれないが。
 結局のところ、軍部の暴走によって戦争の追い込まれた結果の戦争だけに、それより上位の立場からの調整は効きようがなかった。結果、陸軍と海軍が別々に戦争を戦うことになった。国力で劣っている側が、この有様では、勝ち目は最初からないよな。