上三坂決壊箇所

 災害の航空写真を見ていて、あふれた水の痕跡が南に曲がっていて、不自然だなと思った。で、この辺の航空写真を見ていて、その北側、石下近辺が扇状地状になっているのに気づいた。どうも、昔から、この近辺に蛇行してきた水流がぶつかって、溢れてきたのではなかろうか。その歴史を物語るのが、この扇状地上の自然堤防なのだろう。治水地形分類図を見ると、扇形に旧河道が広がっている。
 そして、この自然堤防の下流。ちょうど、自然堤防の切れ目になっている場所が今回の破堤場所。どこが崩れるかは予想できないが、事後に見れば、ここが破れたのは、なるほどなと言う場所。決壊箇所から流れ込んだ濁流は、その後、中三坂と平内の間の旧河道に流れ込んで、後背湿地を水で埋め尽くしたと。
 グーグルストリートビューで見ると、上三坂地区の建物にあまり古そうなのがない。それに比べると、中三坂地区の方が旧態をよく残しているようで、このあたりも自然条件の差があるのだろか。


 しかし、このあたり旧河道が入り組んでいたり、大規模な自然堤防が発達していたり、昔から暴れていたのだろうなという印象。鬼怒川って、台地を掘りぬいて、付け替えているそうで。むちゃくちゃやるなあ。

地理院地図より常総地区正射画像(2015.9.11午後撮影)から当該部分をキャプチャー)



地理院地図より航空写真(最新)から当該部分をキャプチャー)



地理院地図より治水地形分類図更新版から当該部分をキャプチャー)