「ほとけの里と相良の名宝」展を見に行く

 本日は県立美術館へ出撃。二の丸で行なわれていた「食のイベント」で昼食を取るが、意外と店が少なかったな。最終日ということで行って見たのだが。


 美術館では、「日本遺産認定記念 ほとけの里と相良の名宝─人吉球磨の歴史と美─」を見学。球磨郡の中世以来の仏像群と相良家文書がメインの展示。12世紀からの仏像、しかも大きくて迫力があるものが多数展示されていて、すごかった。仏像の良し悪しってのは、よく分からないんだけど。「木造毘沙門天立像」や二体の「木造千手観音立像」が印象的。
 仏像と同時に、多数の中世文書も出展。慶応大学に所蔵されている相良家文書がメイン。在地の豪族が割拠する中、関東から相良家が入部。徐々に勢力を伸ばす。下相良家の傍流永富長続が上下相良家を打倒して簒奪。戦国大名として、勢力を拡大。しかし、島津の勢力伸長でその配下に。さらに、豊臣秀吉九州征伐で降伏して所領を安堵、関が原の合戦では西軍につくも、敗報を聞いて東軍に寝返り所領を維持する。よく考えると、生き残ったのが奇跡レベルだなあ。関ヶ原合戦の時の加藤清正の書状で、相良家に対してキレまくっているのがおもしろかった。「あいつら義理も何もない連中だから、降伏を認めず、取り潰してしまえ」みたいなことを言っている。あとは、戦国期、名和氏との八代争奪戦にかかわる書状とか。思ったより、読めたけど、後半疲れてくると、だんだん原文書見ないで釈文ばかり見るようになってしまったな。
 三室目の青井阿蘇神社の神宝、仏教的な作品がたくさん残っているのが素晴らしい。廃仏毀釈の際には、神殿の床下に隠して残されたってあたり、強い意思が感じられるな。時流に流されなかった。健磐龍命の本地は十一面観音なのか。
 あと、球磨郡内に、他の土地で鋳造された鰐口が多数残されている経緯というのもおもしろかった。仏教寺院の什器の類は、戦の時には略奪されることが多かったという。相良氏の勢力拡大にともなって、各地で略奪された鰐口が、郡内の寺院に寄進されたと。宇土郡天草郡、宮崎鹿児島の鰐口が展示されていた。


 その後は、細川コレクション展示室の「南蛮文化と細川家-忠興とガラシャ、異国との出会い-」を見る。西洋から将来された品物、日本側が影響を与えたもの、キリスト教徒の関係、西洋料理のやり取りとか文書に押されたローマ字印章など。
 桃山期の大名は、ヨーロッパの習俗に相当魅了されていたようだな。