印東道子『人類大移動:アフリカからイースター島へ』

人類大移動 アフリカからイースター島へ (朝日選書)

人類大移動 アフリカからイースター島へ (朝日選書)

 民族学博物館の共同研究の成果を、一般向けにまとめた本。
 類人猿以降のヒト属の拡散を、人類学、考古学、サル学など、さまざまな側面から検討している。メインは、現生人類たるホモ・サピエンスだが。いろいろと、新しい知見が紹介されていて、目から鱗アメリカ大陸への人類の拡散。電撃戦モデルしか知らなかったけど、それより古い人骨が発見されて、完全に見直されているとか。
 第一章が類人猿以降の700万年の歴史の概説。続いて、ユーラシアへ拡散した原人・新人の流れ、アメリカ大陸へどうやって人類が進出したか、オセアニア海洋世界への人類の進出。第五章がDNAからみたヒトの移動。第六章が道具から見た原人と新人の違い。第七章は、異なる人々が遭遇した時にどうなるか。最後は、サルから見た、人類の移動。非常に広い範囲に、分野がわたっている。


 第一章は全体の流れを概観。熱帯雨林からサバンナへの進出。さらに、旧人・原人と新人による二度の「出アフリカ」。道具から見ると、ネアンデルタール人までの旧人クロマニョン人・新人の両者で、作る道具が全然違うと。部品を造り、それを組み合わせて、道具にするという、一段複雑な操作ができるようになった。また、頭骨を見ても、ネアンデルタール人までと、ホモ・サピエンスでは、かなり形が違う。いろいろな面で、ホモ・サピエンスには飛躍があったと。やはり、喉の構造が変わって複雑な言語を話せるようになったことが、概念の操作という複雑な知的行動を行なう前提になったってことなのかね。


 第二章は人類のユーラシアへの拡散。「出アフリカ」は、二度ないし三度あった。180万年前の原人、100-50万年前の旧人、そして5万年前あるいはそれ以前に新人が。新人の「出アフリカ」の時期については、5万年前には遡るだろうけど、それより古い遺跡については年代決定で論争があるという。原人・旧人は、かなり広い範囲に拡散したが、シベリアなどの極寒の地や広い海洋を越えた大陸までは進出できなかったと。新人は、新しい技術を開発し、そのような障壁を乗り越えた。


 第三章はアメリカ大陸への人類の進出の話。
 1万3000年ほど前までには、人類はシベリアを経由して、アラスカまで進出していた。しかし、そこから先は、氷床が発達していて、人類の進出を阻んでいた。しかし、それ以降、氷床に回廊が出現し、そこを通ってアメリカ大陸に進出。人類はアメリカ大陸に急激に拡散した。こういうモデルを私も「通説」と思っていた。
 しかし、1万1500年前のクローヴィス文化に先行して、チリのモンテ・ベルデ遺跡が1万2500年以上前という数字を示していて、無氷回廊出現前に、人類がアメリカ大陸に進出していたことが確実になった。海岸を、船などを使って移動したのではないかという見方が紹介されている。
 学術の進歩はすごいな。しかし、旧石器時代の遺跡って、ほとんど海底に沈んでいるんだよな。海底から、痕跡の薄い旧石器時代の遺跡を探索するって、ほとんど絶望的というか。最終氷期の頃の人類の姿は、ほとんどの情報源を失った状況で再構成しないといけないという状況にあるわけか。


 第四章はオセアニアへの人類の進出。
 まず、4万5000年ほど前に、スンダランドから、海を渡ってニューギニア島オーストラリア大陸がつながった「サフル大陸」へ進出。便宜的に「サフル人」と呼ばれる集団が形成される。現在のオーストラリア大陸で狩猟中心の生活を営んだ人々とニューギニア島の内陸高地でタロイモやバナナの農耕を生業に加えた人々、海岸沿いに広がりソロモン諸島まで拡散した人々に分かれた。また、この人々は野生動物を捕え、獲物が少ない島に移植するなどの行動を行なったことも知られている。
 その後、だいぶ時間がたって3300年前に、アウトリガー・カヌー、土器や磨製石器、農耕や家畜などさまざまな文化要素持った人々が、太平洋の島々へ拡散。今の太平洋の島嶼に住む人々は、ほとんどがこの集団の子孫だと言う。
 タヒチから、ハワイやイースター島ニュージーランドへの人類の進出は、西暦1000年前後。ごく最近の話なのだな。イースター島なんか、数百年で人口が極大に達して、モアイを造りまくったあげく、資源は不足して壊滅か。凄まじい。
 ヒトの移動を細かく追えるってのがすごい。


 第五章はDNA分析の話。移動先から戻ってくる人々もいる。ネアンデルタール人と現生人類の交雑、DNAから見た日本人の構成など。
 第六章は、行動の話。新人は、単純な打製石器から、石刃を組み合わせた道具へと変化。壁画などの文化行動の開始。以上のような「現代的行動」を見せるようになったと。


 第七章は、違う文化を持った集団が出会ったときに何が起こったか。ネアンデルタール人ホモ・サピエンス縄文人弥生人ニューギニアでの先住狩猟採集民と後発の海洋民の三例を紹介する。
 どの例も、血なまぐさい争いが展開したわけではなかった。
 ネアンデルタール人間氷期には北に進出し、氷期には南に圧迫される、環境にいわば「流される」生き方をしていた。そこに新人が、ネアンデルタール人が進出できなかった北方や撤退した場所に進出。生態的なニッチを占拠するとともに、ネアンデルタール人の集団相互のネットワークを分断し、それがネアンデルタール人衰退を引き起こしたという。
 縄文人弥生人にしても、対立は局所的なものにとどまり、縄文人的な形質・文化を持つ人々が、弥生文化を摂取していったという構図が描けると。
 ニューギニアの事例では、後発の海洋民は、先住者の勢力が薄い場所を選んで定住したこと。先住者の男性が、島嶼へ拡散する海洋民にかなり合流していたこと。さまざまな知識の交換が行なわれたとか。


 第八章は、サルのほうから見た、「出アフリカ」。
 類人猿というと、「進んだ生き物」というイメージがあるが、実は生存競争に敗れた側だったという。確かに、現生のボノボチンパンジー・ゴリラ・オラウータン、いずれも希少種だものな。
 類人猿が出現した3000万年前には、地球上を熱帯雨林が覆っていて、類人猿はヨーロッパやアジアにも広く分布していた。しかし、寒冷化・乾燥化が進み、類人猿は急激に多様性を失う。類人猿は、消化器の特殊化が進んでいなくて、完熟した果実や消化阻害物質が少ない葉しか食べられない。また、繁殖力が低い。そのため、オナガザル類に生態的ニッチを占有され、衰退せざるをえなかった。
 劣位にある中で、道具を使う、集団内で食物を分け合うなどの行動で生き残ってきた。類人猿では、集団内の順位は、仲間の支持も重要であるため、強い個体も、弱い個体に食物を分け与えなければならなかった。人類はさらに、積極的に平等に分配する方向性にある。
 果実以外の補助植物が、分布や生態を分けている。また、火を使うことで消化をよくして、食事に費やす時間を劇的に減らしたこと。サバンナで生き抜くために、「家族」を形成したことなど。
 サルの社会との比較は、人類を理解するのに有効なのだな。