- 作者: 磯田道史
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/09/30
- メディア: 文庫
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取り上げるのは、徳川光圀、浅野内匠頭、池田綱政、前田利家・利常、内藤家長、本田作左衛門の7人。前田利常が三章で大きく扱われている。章立てからすると、雑誌か何かの連載だったのかな。
他の本でも感じたが、戦国以前の研究に関する知識が微妙な感じがするな。最終章の本田作左衛門の章で、「公」がなかったと述べているが、むしろ戦国時代の後半というのは、後々につながる「公」が形成された時期なのではなかろうか。
有名人の同時代の評判がやはりおもしろい。
水戸光圀の「悪所」通い。実際にヤっていたのか、人と会うための方便だったのかは、よくわからないが、江戸のあちこちに出没していたのは確かなのかな。席次に縛られて、まともに人と話すことができない殿様の不便さと、それを補う茶室やお忍び。しかし、学者をやり込めて悦にいるというのは、少々悪趣味だなw
浅野内匠頭の家が、家光代に築城して、軍学者を集めた結果、軍事マニアの集団みたいになっていた。あるいは、内匠頭の荒淫とそれをいさめない大石内蔵助など。なんか、相当精神が不安定な人物だったようだな。殿中で切り付けをしなくとも、なんかやらかした可能性が高いと。
岡山藩二代藩主、池田綱政は、子供を70人ってのもすごい話だ。父光政が厳しい政治の世界でリアリストというか、殺伐とした治世を過ごしたのに対し、綱政は公家的な雅な世界に憧れ、それを実践した人物ということか。
中盤は前田家が4章。徳川家康と天下をめぐる神経戦。前田利家は、身長180センチと体格に恵まれていたと。今で言えば、2メートルくらいはある感じかな。そりゃ、そういうのが、槍もって突進してきたら、逃げるわ。伊達政宗とか、前田利常とか、これ見よがしに、行儀が悪いことをして見せた心理というのは興味深いわな。前田家に伝わる乳母の局の怪談も印象的。
関ヶ原の合戦に至る西軍挙兵時に、伏見城で討死した内藤家長の家系が捨て城担当を後々も続けた話や、元禄時代になると武芸は放置して能に入れ込んでいた姿。処刑用の人煎釜を砕かせた本田作左衛門の忠義。
結局、鳥居元忠、内藤家長といった家康の犠牲になった人々というのは、まともな人々であった。史書のなかに、何千、何万という人の人生を見て思うが、偉くなる人物は、おのれの勝手がつよく、人のことなど、眼中にない。名前の出る人というのは、どこか自分勝手である。それがふつうであって、むしろ、周りにいた人たちのほうが人間的には優れている場合が多い。しかし、史上の偉人のすごみは、それほど自分勝手な男でも、ついていこうと、他人に思わせる何かがある。家康がもっていたのは、まさに、その才能であり、鳥居も内藤も、家康の魅力にしたがっていた。p.226
いまでも、あんまり変わらないな。企業のトップがサイコパスとか、よく言うし。結局、企業のトップに、社会的な発言をさせないほうがいいんじゃなかろうか。