岡田昌彰『日本の砿都:石灰石が生んだ産業景観』

日本の砿都:石灰石が生んだ産業景観

日本の砿都:石灰石が生んだ産業景観

 日本で、今やほとんど唯一、国際競争力を維持した鉱業である、石灰産業が織り成す「テクノスケープ」を紹介する本。こうして見ると、石灰石の鉱山は、日本列島に満遍なくあるのだな。そして、石灰石の使い道は、セメントだけではなく、製鉄にもあると。そのため、製鉄が盛んな地域や船で搬出しやすい臨海部に多い。あるいは、鉄鋼業が盛んな地域の近く。内陸の石灰鉱山は、価格競争力の問題から、閉鎖が進んでいると。
 しかし、「テクノスケープ」という概念が、いまいち分かりにくいな。石灰岩の地質によって培われた伝統的な文化や景観、ランドマークとなる工場などの大規模な施設を中心に近代のセメント産業の作り出す景観、そして、石灰岩採掘が作り出す景観をあわせたものとまとめられるようだが。定式化したものではないようだ。このあたりは、別の著作を参照するしかなさそう。


 日本各地の石灰鉱山リストとして考えると、便利な本。
 最初は、「三大砿都」として、沖縄、秩父、山口(美祢・宇部・小野田)が取り上げられる。その後は、日本各地の石灰石鉱山とセメント産業。北海道から九州まで。衛星写真なんかを見ると、真っ白い削り跡がたくさん見えて、すごい。山を全部削りきった事例もあるが、戦後になってから行われたことなんだよな。どれだけ、コンクリ使ったんだよと
 熊本に関連しては、八代が紹介されている。今のイオンの場所がセメント工場で、大築島という島が石灰鉱山で、徹底的に掘りつくされたと。そういえば、八代平野には、石灰岩の島が多いんだよな。
 奥多摩秩父は需要地と近いから、成り立つのだろうな。岐阜の金生山や山口の秋吉台は、規模のでかさが印象的。高知の鳥形山は、山を丸ごと削りつつあるのが、衛星写真からも印象的。筑豊は炭田のイメージだが、石灰岩も同時に採掘されていたのだな。
 あと、各地に残るお菓子がおもしろい。小野田の「せめんだる」、北斗市の「セメンぶくろ」、飯塚市の「黒ダイヤ・白ダイヤ」なんてのがあるらしい。前二者は最中、後者は羊羹。それだけ、地域経済への影響力が強かったと。

 さらに驚くべきことに、この人力鉄道は戦後1957(昭和32)年に至るまで運行され続けた。鉄道の動力が蒸気、ディーゼル、そして電気へと目まぐるしく進化するのを横目に、この人力鉄道は57年もの長期にわたって存続したのである。p.139

 栃木県佐野市葛生町石灰石輸送用人車鉄道。これが、最後の人車鉄道じゃないというのが驚き。その後は、ディーゼルに転換したようだ。
地方私鉄 1960年代の回想 葛生のナロー4
住友セメントの“カブース”たち。(下)|編集長敬白|鉄道ホビダス
人車軌道 - Wikipedia