「江戸時代、農民は米を殆ど食べることができなかった」は事実か - Togetterまとめ

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 最初に掲載された漫画のような「貧農史観」は間違いであるけど、稲作農家があまり米を食べていないというのは、事実。基本的に、米は売り払って、現金化するもので、自家消費は少ない。
 大正から昭和初期の事例になるが、『聞き書 熊本の食事』asin:4540870319では、熊本平野の稲作農家は、8割がたを売却していた。残った米と、自家消費のために作っていた麦で、食事をまかなっていた姿が紹介される。だいたい、半々。これは、全国各県ごとにまとめられた叢書だが、おそらく、他の県も同じだと思われる。特に、江戸時代は、人口に比べて不足気味だったから、売却の志向は高かったのではなかろうか。
 そもそも、江戸や大阪、各地の城下町といった都市だけではなく、東海道筋や山地では、綿や絹などの商品作物生産者がたくさんいて、特に江戸時代後半には、かなり生産の分化が進んでいたことを忘れてはならない。「農民が8割」と理解すると、間違う。網野善彦が指摘するように、百姓のなかには、非農耕民もそれなりの割合で含まれていることを忘れてはならない。さらに、ここのまとめにあるように酒生産に使われる米もある。
 消費する側は、流通する米を買って食べるが、生産する側は、むしろ米を食べられないのが現実だったと思われる。あと、このまとめなどに無意識に含まれる、米上位の感覚がいまいち分からないんだよな。我が家は雑穀米常食だから。


 まあ、「農民」が重い税金で搾取されて、貧しい生活をしていたというのは、明確に間違いと考えてよいと思う。『貧農史観を見直す』asin:4061492594という本によれば、江戸時代前半の大開墾時代の生産性上昇を、税として取り込めなかったと指摘されている。
 そもそも、「石高」って課税基準に過ぎないから、それを実生産量として考えると、ますます、分からなくなるのではなかろうか。
 あと、無理に税金とろうとすると、村の側がぶち切れて、一揆を起こされる。整然と家を解体されるなんて事態も起こる。そうなると、代官は落ち度があったとして更迭されてしまうから、水戸黄門のような苛斂誅求は無理。江戸時代の百姓は多角的に仕事をして、それなりに豊かではあった。


 一方で、藩は運営費を維持するために、是が非でも米を売る必要があり、飢餓輸出を行い、飢饉を引き起こした事例がある。ここらあたりは、菊池勇夫『飢饉』asin:4087200426参照。


 前近代の食糧流通問題は多面的問題だから、一概にこれというのは無理。山奥の人なんかでは、やはり米は滅多に食べられない人もいただろうし。流通の問題もあるから。飢饉なんて、本質的には流通の問題といってよい。


 そういえば、江戸や大阪などの都市の近辺では、水車がたくさん作られて、米の精白業者が繁栄していたとも言うな。そもそも、白米を食べる手間がでかかったのはありそう。