岩瀬博太郎『死体は今日も泣いている:日本の「死因」はウソだらけ』

死体は今日も泣いている 日本の「死因」はウソだらけ (光文社新書)

死体は今日も泣いている 日本の「死因」はウソだらけ (光文社新書)

 日本の死因解明制度が、いかにグダグダであるかを明らかにする。日本って、先進国というような顔をして、全然、基本的な制度にリソースを割いていないのが、丸分かりだな。ちゃんと解剖を行わないことで、殺人や事故による死亡を見逃し、基本的な公衆衛生の政策を誤らせる。よく分からない死亡者は、心不全脳卒中、肺炎あたりを適当に当てはめられてしまう。癌はともかくとして、心疾患や脳内出血の類は、どこまで本気で対応を取るべきか分からなくなってくるな。最近は、高齢者の肺炎対策にリソースが割かれているが、死因判断をいい加減にしているため、本当に的を射た政策かどうか怪しいとか。完全にリソースのムダ。
 消費者保護行政の画期の一つとなったパロマ湯沸し器の事故、死因がちゃんと解明されていれば、死者はもっと少なくて済んだかもしれない。死者21人は、「少なくとも」の数値で、一人暮らしで死因不明で片付けられた人がたくさんいるかもしれないというのが、恐ろしい。殺人事件でも、保険金目当てで複数の殺人がバレなかった事例が何件もあるしな。そろそろ、ちゃんとした、死因解明の制度が必要なのではなかろうか。


 どこも責任回避というのが、アレだな。法務省か、厚生労働省か、どっちか決めて、制度を整えればいいのに。予算と人手がかかるから、やりたくないんだろうな。で、警察と医者と法医学者に別れる、ムダに複雑な制度ができてしまう。
 微妙に、警察と医者の対立関係があったり、警察が、めんどくさい事例は、医者を誘導してしまう。あとは、死因の書き方が、医者に浸透していない状況とか。
 警察で全部死因究明をまかなおうという動きも、ちょっとなあ。正直、冤罪事件なんかを見ていると、科捜研など警察のDNA解析などの技術レベルは、高くは評価できない感じだし。検視官の拡充で、解剖の予算を減らそうとしているとか。


 日本の制度は、第二次世界大戦後にGHQによって、アメリカの制度をモデルにつくられたが、肝心な部分で骨抜きにされてしまった。国内の地域格差や予算が出ない。諸外国では、だいたい、それなりの死因究明組織が存在する。少なくとも、5パーセント程度は、解剖が行われるが、日本は1.6パーセントというのは、流石になあ。海外の制度が紹介されているが、北欧の中央官庁がある制度やイギリスのコロナー制度は流石に模倣が難しそう。米独仏あたりが、どのような制度になっているか。殺人の見逃しがどの程度あるのかは気になる。ドイツで、看護師が大量に殺人犯していたりするしなあ。そのドイツは、大学が法医学教室の中心になっているそうだが。


 最後は、日本の貧弱な死因究明システムがもたらす問題。死因情報のフィードバックの欠如。遺族の感情を傷つけるような対応。殺人の見逃し。医者と警察や医者と患者の対立を、第三者の法医学者がチェックすることで、緩和できるのではないかという指摘。東日本大震災のような大規模な災害において、「溺死」という死因が暫定的なものであり、どのように死亡したのか、もう少しきっちり明らかにするような対策が必要なのではないかと言う話。
 確かに、津波に巻き込まれた人がどのように亡くなるのかは、もう少し、細かくつっこんで調べられるべきなのではないだろうか。巻き込まれても、救命胴衣で浮くことができれば助かるのか、瓦礫に巻き込まれて助からないのか、砂などの巻き上げられたものがどう影響するか。こういう情報は、最悪、逃げられなかったときに、どう助かるかの手がかりになりうる情報だと思うが。