竹内正浩『地図と愉しむ東京歴史散歩』

カラー版 地図と愉しむ東京歴史散歩 (中公新書)

カラー版 地図と愉しむ東京歴史散歩 (中公新書)

 地物の変遷を、カラーで明治・大正の地形図と現在の地形図を対照して見せる。意外と、過去の痕跡が現在の町割りに残っているのだなあ、と。これも、東京では、地形図の作成が早い段階から行われていたという、首都であることの恩恵なのだが。熊本だと、地形図の作成がまばらで、こういうことはやりにくい。
 東京に関しては土地勘がないので、いまいち、楽しめないところもあるが。水道関係の話とか…


 明治初年、工部省測量司のイギリス式三角点の追跡、明治六年に都市公園に指定された五箇所の寺社のその後の運命、市営霊園の展開、水道道路、荒川放水路の開削、山手線の外側を回るはずだった「東京山手急行電鉄」のお話、旧軍関係施設の名残、関東大震災第二次世界大戦による復興計画の名残、最後は特殊な形の住宅地。以上の9テーマで、語られる。


 イギリス式測量の三角点がおもしろいな。様々な石造物に「不」の字が刻まれていて、それが三角点と。


 寺社の境内地を丸ごと公園に召し上げてしまった明治政府のむちゃくちゃさ。行政訴訟で変換されているあたりは、まだ理性があったのか。結果として、「公園」が細切れになってしまった。しかし、寛永寺の切り刻まれぶりがひどいなあ。あとは、増上寺の霊廟を売り払った徳川家の不明。


 お墓の話も興味深い。公共墓地の整備から、小規模な墓地は整理移転され、青山墓地や谷中墓地などに集約。そこが満杯になったので、多磨霊園の建設。さらに、現在は八王子霊園、と。多磨霊園の有名人の墓地探訪も。


 荒川放水路もすごいなあ。よくもまあ、こんな巨大な水路を人工的に掘削したものだ。なるべく人が少ないルートを選んだんだろうけど、それでも、立ち退き対象1300戸。一戸平均5人とすると、6500人か。規模の割りに少ないと考えるべきか…
 都市化が進んでいたら、とっても実行できなかっただろうなあ。


 9章もおもしろい。住宅地に残る過去の名残。住宅開発時の計画の痕跡、遊郭の敷地の名残、船橋海軍無線電信所跡の円周道路、競馬場のコース跡が残る住宅地、線路や河川旧流路の緩やかなカーブを残す敷地、舟入や堤防の跡など。
 割と有名な事例、というか、ダイタイデイリーポータルZでネタとして取り上げられている事例が多い。
 しかし、鉄道の廃線跡ってのは、だいたい道路になるものと思っていたけど、住宅地として分譲される事例があるのか。土地が足りない首都圏ならではという事例なのかな。

 しかしそのころ、多摩川上流の三多摩地域は、神奈川県に属していた。そのため、たとえば水源部の不衛生などの問題があっても、東京府の行政権や警察権は直接三多摩地域におよばず、しばしば問題を生じていたのである。このコレラ騒ぎと汚物投入事件は、明治二十六年の三多摩地域の東京府編入の直接のきっかけとなった。つまり、三多摩地域が東京府編入されるにいたった最大の理由は、玉川上水の水利権と、奥多摩地域の水源確保のためだったのである。この合併で東京府の面積は倍増した。是以後、広域の府県レベルの所管変更は今にいたるまでない。p.53-4

 東京の水源確保のために、ごっそりと削ったのか。明治時代から、東京には土木的なリソースが潤沢に投入されてきたのだな。