肥後の里山ギャラリー「宇土の歴史・文化を育んだ轟泉水道」

 轟泉水道の展示というよりは、宇土細川家の文化といった感じの展示。轟泉水道の建設者、初代細川行孝とその後、現在のような馬門石の石管に改造した5代興文の遺品が紹介される。


 海に近く水源に恵まれない宇土の町に、十分な給水を行うために、利休尻ふくらと俊成卿定家卿両筆懐紙を本家に売却して、費用を捻出。瓦質管による給水を開始。その後、100年ほど経って、経年劣化で水道の機能が低下してきたため、馬門石の石管に取り替えられた。現在も、90世帯に水を供給する現役水道。小学校の頃、社会科見学で見に行った記憶が。
 興文の文化活動が興味深い。茶や尺八の覚え書きをまめに残している。あと、絵画墨跡類が展示されている。絵も、相当に修練していたようだ。鷹狩りの時に見つけた竹で、茶杓を削って、茶道頭への年賀の贈り物にした、銘「狩場」とかも、興味深い。


 おおよそが、宇土市教育委員会所蔵品。宇土藩文書は、九大や県立図書館に収蔵されているけど、興文/月翁の遺品が宇土市教育委員会所蔵になっているのは、どういう経緯なのだろうか。宇土細川家の書籍類は、戦後の昭和24年に、九州大学に売却されたそうだが。戦後に、ばら売りされたのかな。


www.city.uto.kumamoto.jp
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