熊本県立美術館「熊本城大天守外観復旧記念:熊本城と武の世界」

 本丸が一般公開できるようになった記念イベントということで、熊本城の歴史と加藤家・細川家関係の武具類の展示。具足と刀剣が多く展示されていたが、刀剣の良し悪しが、いまいちよく分からないんだよなあ。そういうことで、悩んだ末に図録の購入は保留。


 豊臣秀吉の九州征討後、佐々成政の熊本一国拝領。肥後国一揆の後は、加藤清正が肥後北半を支配、熊本城を築城。加藤家改易後、細川家が引き継ぐ。熊本城建設の過程。城の修築に関する、細川家の気の使いぶりが印象に残る。
 熊本城天守閣の管理や武芸。そして、幕末の肥後藩の軍事行動。
 出入りが厳重に管理されていたとか、天守閣には食料武器が蓄えられていて管理の組織があった。組織のトップはかなり能力が必要だったようだ。天守閣を上り下りする体力が無くなると引退となる、人事の伺い書が残されている。
 あとは、熊本藩では武芸の修練が奨励され、藩校時習館と一緒に、武芸を稽古する施設も併設。砲術の流派が、10派ほどあったとか。
 幕末には、ペリー来航時の本牧警備で部隊や装備の輸送の負担。第二次長州征伐時の小倉方面での戦い、近代兵器の導入などが紹介される。熊本藩内でも、洋式銃の製造が、地侍階層主導で開始されていた。在地に配置された鉄砲衆が、動員に備えて注文したら、生産能力に余裕がないということで、自分たちで生産を始めたとか。


 加藤清正や細川家ゆかりの武具類が多数展示される。
 甲冑の構造の違いはやっと分かるようになってきたので、興味深く見る。やっぱり、大鎧のほうが、当世具足より、横幅があって大きく見えるな。細川家の越中具足は、ずいぶん小さく見える。あと、気になったところとして、越中具足の草摺、小札を組み合わせたものではなくて、一体の鋼板を加工した物なのかな。胴の部分も、小札使っているのだろうか。戦国時代には甲冑もずいぶん技術革新が進んだのだな。
 あと、細川忠興脇差に、「運有天敢莫退 晴思剣」ってのがあるのだけど、名前の由来が、茶坊主に化けた間者を切って思いを晴らしたから「晴思剣」って、忠興関係の刀、血なまぐさい由来が多いのなw


 個人的には、具足とか、刀剣よりも、他の装備が気になる。細川忠利所用の陣鎌、陣鉈、陣鋸が個人的には大ヒット。コンパクトな鎌に鉈、五本セットの鋸。戦場では、普請や簡易な構造物の構築が必須だったから、一般の武士も、もっとごっちいの持ち歩いていたのだろうなあ。
 加藤清正が朝鮮で使用した武具類は、その後、天守閣に収納され、加藤家改易後もそのまま残されていた。1764年になって、加藤家の重臣森本儀太夫の子孫に、その仕様を報告させた「御天守方御軍器見分之覚」が興味深い。クナイやフック類など忍び道具の図解が開かれていたが、そういう器具類について、森本家には18世紀になっても、使い方が伝わっていた。この史料、全部、翻刻して欲しい(他力本願。自分で読めれば、自分で読んでみたい。


 第三室は、同田貫など熊本に関連する刀剣類、刀装具が展示。特に、肥後鐔が充実していた。鐔の細かい細工と意匠の遊び心が印象的。
 そういえば、刀剣類の鑑定って、どこまで信用できるのかな。成分分析や放射性年代測定を行ったら、分類が無茶苦茶になったりしないのだろうか。