氏家幹人『旗本御家人:驚きの幕臣社会の真実』

旗本御家人 (歴史新書y)

旗本御家人 (歴史新書y)

 大谷木醇堂が残した「醇堂叢稿」を題材に、江戸時代末の旗本たちの風俗を描く。
 昌平坂学問所で高い成績を残し、様々な資料の読書に傾倒すると同時に、上級旗本の子弟として様々な立場の旗本たち、特に年寄りの話を聞くのが好きだったということで、いろいろな情報を引き出して、独特の史料となっている、と。


 しかし、江戸幕府の官僚制って、家計と公的な支出の区別が付いていないとか、それぞれの家臣の「家」を守る必要があるとかで、現在から見ると、なかなかいびつな感じがするなあ。それに、将軍側の「恩恵」が加わって、なんかカオスな感じが。
 あと、役人の側はともかくとして、番方とか、無役の御家人なんかは、かなり風紀が悪化していた感じも。


 第一章の「付鬢とカツラ事件」やプロローグに言及される服装をめぐる規制や老中が重体になったときに将軍から贈られるタイの味噌漬けなどの習俗が興味深い。


 第二章は、年齢をめぐる話。
 高齢の旗本の名誉職「老衰場」の話が興味深い。儒教的な価値意識からすると、敬老というのは重要な価値だろうし、定年がない当時の官僚制と家計の維持を考えると、職にしがみつくというのは当然の行動なのだろうな。「老衰御褒美」という制度もあった。醇堂自身が、祖父の米寿祝いに高齢者を招いたときは、100歳級の老人がたくさん出てくるのに驚く。
 しかし、それにはからくりがあって、当時、年齢を高く偽ることは、普通に認められた慣行だったらしい。当主が17歳未満で死亡した場合、養子が認められず、絶家になってしまう法があったため、抜け道として、年齢を5歳程度さば読むのは普通だった。大名や上級旗本でも、よく見られたという。場合によっては、10歳ほど高く届け出る事もあったとか。それでも、江戸時代に合っても、長寿の人はビックリするほど長寿だったわけだけど。
 そして、年齢を高く偽ったため、旗本子弟は、規定よりも相当若年で、試験などを受けることになった。
 密談をめぐる話も興味深い。将軍の密談は、ふすま・障子を取り払って、広いスペースで行われた。この場合、近づけないため、密談をやっていることは分かっても、内容は聞き取れない。ある種、合理的なやり方だよなあ。屋根裏や床下で聞き耳を立ててる奴はいるかもしれんが。現代だと、指向性のマイクとかあったりするから、難しいかも知れないが、昔だと、口元を隠してしまえば、なにを話しているかはわからない。


 第三章は、役職就任をめぐる話。やはり、何らかの役職について、追加の収入を得ないと家計が苦しいため、多くの人が有力者の推薦を得ようと、早朝から、屋敷に訪れていた。それを何年も続けて、やっと役職を得られた。運が悪い人だと、通い先の有力者が次々死んだりする。一方で、目端の利く者は、思わぬやり方で知遇を得て、推薦を得る。
 また、大きな出世をしたものは、非武士身分から御家人株を購入した者が多いという話も興味深い。そういう形で、人材の登用と新陳代謝が行われていたのだな。根岸鎮衛などが紹介される。
 一方で、役職にかかる費用は自弁のため、出世を目指すと猟官運動の資金やその後の様々な出費がのしかかることになる。代官、先手頭、定火消、江戸外の役職などは、かなり費用がかかるので、家計に重くのしかかったという。
 一方で、ノンキャリアで権限が大きかったり、将軍に近い職ほど、役得が大きい。彼らは、身分費用がかからない分、むしろ裕福な生活ができた、と。「御膳所台所」に勤務する役人は食材、調味料、食器類まで、全部職場の物を持ち帰って使用。その分、裕福な生活ができる。あるいは、奥右筆や徒目付は、エリートコースではないが、人事を含め、様々な職掌に関わるため、篤実の者でも、相当金が入ってきたとか。


 第四章は、一癖も二癖もある人物。若い頃、裏社会に首を突っ込んでいたらしい人間や空気を読まず直言する者。学者が尊敬されていなかった。そして、それを学者の範疇にある醇堂自身が是としているのが興味深い。


 第五章は、江戸城の生活の場の話。
 高級なトイレはきれいだったが、一般役人用のトイレはめちゃくちゃ汚かった。あと、深く掘ってあったので、落ちると、上がれなくて溺れ死ぬ。トイレで溺死は嫌だなあ。というか、汲み便怖い。
 あとは、細川宗孝が板倉修理に殺害され、重賢に当主の座が回ってきた事件の「真相」。家紋を間違ったと言われるが、実際は、屋敷が隣り合っていて、細川家の屋敷からの排水が板倉の屋敷に流れ込むことに苦情を申し入れたが、いい加減にあしらわれたことが原因だったのではないかという話。これは、安藤優一郎氏も述べていたような。江戸城はストレスフルな場で、刃傷沙汰が起きる一方、鬱病で仕事が出来なくなる人も多かったという。
 あとは、江戸城の様々な取次を担当する坊主衆が、様々な人々の潤滑油的役割であったこと。その職掌柄、付け届けなどで裕福だった。
 また、将軍に近侍する小姓と小納戸の話。立ち居振る舞いは優美だけど、純粋培養で高慢なところがある。近侍する者への恩典や人格的関係。一方で、新入りは危険な「死番」を押しつけられるなど。