丹野顯『「火附盗賊改」の正体:幕府と盗賊の三百年戦争』

「火附盗賊改」の正体 (集英社新書)

「火附盗賊改」の正体 (集英社新書)

 「よしの冊子」に言及した本で、寛政の改革の時代に、旗本の屋敷を襲撃する盗賊が横行していたところから、興味を持ったところ、タイミングよく、江戸時代の犯罪関係の本がでたり、熊大の貴重資料展が刑法関係だったり。
 本書は、江戸の治安維持を担った火附盗賊改とその先駆形態を、幕府の最初から最後まで通覧する本。徳川軍の先鋒を勤める先手頭が兼任し、武勲の誉れが高い武将の子孫が任命された、武官のポストであった。これが、時代の経過とともに、司法官僚的な、裁判に長じた人間が必要なポストに変わっていく。特に、著名な長谷川平蔵をはじめとする、寛政期前後の人物では、後の刑事司法の判例を提供している人間が多い。
 火附盗賊改というと、真っ先に頭に浮かぶのは、鬼平こと長谷川平蔵だが、多くの火盗改が紹介される。なかには、適当に怪しいと思ったものを拘束、拷問でやってもいないことを自白させ、処刑しまくる、冤罪製造マシーンと化した人間もいて、なかなか恐ろしい。
 あと、裏社会に通じた目明しに依存していて、時期によっては目明しに良いように操られた火盗改が出てくるが、結局のところ、江戸幕府は江戸の治安に限っても、まともに掌握することができなかった感があるな。スリの頭が地域社会と共存していたというのは、氏家幹人の『古文書に見る江戸犯罪考』で紹介されるが、目明しを通じてある程度抑制する一方で、完全には制圧を諦めていたのではなかろうか。まあ、近代に入ってもヤクザとか、暴力団が厳然と残っているわけだが…


 時代による変遷。
 徳川幕府開府の初期には、幕藩体制からあぶれた地侍武家奉公人などが集まって、群盗をなしていた。これを、文字通り殲滅することが、先手頭には求められた。事実上の戦争だよなあ。風魔小太郎配下の盗賊を、同じく盗賊の向崎甚内の案内で殲滅。そして、ライバルを倒した甚内も、最終的には幕府に倒滅される。出先の機関の実力では、制圧し切れなかったと。
 その後、明暦の大火(1657)後の盗賊の横行から、盗賊改や火附改の役職が創設、先手頭が任命される。これが、後に統合されて、火附盗賊改になる。この時代の著名な人物として、中山勘解由が紹介される。綱吉時代に、放火強盗を働く盗賊が横行したことに対応したもの。怪しいと思ったものを片っ端から捕まえて、拷問で吐かせて、処刑する、冤罪製造マシーンとして庶民に恐れられた一方、鶉権兵衛や旗本奴の殲滅などの業績も上げている。
 支配の管轄が錯綜を利用して、広域に強盗を働き、代官所などの警察力を上回る戦力を持つにいたった盗賊、日本左衛門。中部地方を荒らしまわった一党の所業とその最後の話もおもしろい。実力不足の代官所に、見て見ぬふりの大名の狭間で、富裕層の家を襲撃しまくり、実際の捕縛は派遣された与力・同心が担う実務、そして、包囲の網から抜け出して西日本を巡り歩き、最後に自首した日本左衛門。ここが、すごくおもしろい。西日本には、幕府の威令が行き届いていない状況。目立つ人相のお尋ね者が、堂々と旅行して回っている。逃亡に、俳諧などの芸能が役立つ。
 やはり、著名人たる長谷川平蔵については、一章が割かれている。後代の判例となる裁きや問いかけをおこなっているあたり、名火附盗賊改の資格十分だな。著名な盗賊の捕縛。人足寄場の創設による治安と福祉両策。一方で、松平定信に嫌われ、長い間、職務にとどめられてしまう。なんというか、松平定信って、あんまり人を見る目がないよなあ。山本博文『武士の評判記』や水谷三公『江戸の役人事情』を見ると、理屈っぽくて、実際にはあまり仕事ができないタイプが好みっぽい。
 続いては、江戸時代後期の火附盗賊改たち。平蔵の直後に就任した森山孝盛と池田雅次郎。前者は、火附盗賊改の職務そのものには熱心ではなかったが、マニュアルというか、史料を残している。後者は、長谷川平蔵に並ぶ判例を提起した、まさに後継者と言った感じの人。森山孝盛については、どこかで読んだなと思ったら、山本秀貴『旗本・御家人の就職事情』に出てきた人か。文章をどんなに残しても、微妙感が漂うな。あとは、火附盗賊改たちを金で懐柔して、好き放題やっていた、部屋頭三之助を捕らえた矢部彦五郎など。
 幕末になると、攘夷に名を借りた強盗が横行。さらに、薩摩藩が幕府挑発のために組織的に強盗・テロを繰り返し、戊辰戦争の引き金を引くと、幕府の威令が崩壊していく中で、火附盗賊改が消滅していく過程。


 江戸で盗賊が根絶できなかったのって、旗本屋敷や火消しの中に裏社会の人間が紛れ込んで、司法が手出しできなかったのが大きかったんじゃなかろうか。目付や大目付の職務が行き届いていなかったんじゃね…