増川宏一『小さな藩の奇跡:伊予小松藩会所日記を読む』

 出版直後か何かに店頭で見かけて、購入して、今まで積んでた本。
 現在の愛媛県に存在した石高一万石の外様大名、一柳家の小松藩藩庁で作成された会所日記から、興味深いエピソードを抜粋した本。しかしまあ、このクラスの外様大名は、大変そうだなあ。とはいえ、幕府役職の猟官運動で金を使わないだけ、お金がかからなくて、小さく実直に生きられたのかも。知行取りに足軽が100人プラス武家奉公人というのは、小さいなあ。
 武士関連の記事と会所日記から見える庶民生活の二部構成。


 幕府も、どこの藩も手元不如意だが、小松藩もご多分にもれない。だんだん借金が増えていく。また、古い時代の証文の返済を求める人物がちょくちょく出てくる。大坂の商人だけではなく、藩内や周辺地域のある程度の資産家からも、借金を重ねて、放置していた。最後は、藩札を民間の証文扱いで発行するようになったり。あるいは、藩士の年俸を7割減とか、なかなかエグいことやっているな。それでも、何とかなったのは、小藩で身分費用を削りやすかったってことなのかね。他の藩でも、財政が苦しいときは給与半減とかは、よくやっているけど。ここまで削るのは、ほかでもあるのだろうか。
 あるいは、座頭への給付をめぐるやり取り。毎年の支払いを削減しようとしたら、いろいろともめたり。
 食事の話も興味深い。なんだかんだ言って、動物も食べていたのだな。
 あとは、国許に戻っている時の藩主の暇つぶし。領地の巡見にでたり、家臣の屋敷に遊びにいったり。領内巡見は、なかなか準備が大変だったようだ。あと、素行不良の藩主一族が、国許に送られて、それでも行状が良くならないから座敷牢に押し込められてエピソードとか。上級武士もなかなかに窮屈だったのだな。
 伊能忠敬の測量隊を迎えるスッタモンダもおもしろいな。回ってくる伊能忠敬を応接する側は、こういう認識で対応していたのだな。あと、小松藩の情報収集能力低すぎなんじゃなかろうか。外交任務の人間を江戸においておく余裕がなかったのかね。


 後半は、庶民の生活方面。とはいっても、藩の側から見た文書だけに、犯罪とか、各種のトラブルが目立つ感じではある。駆け落ち、心中、近隣トラブルに犯罪。
 犯罪捜査のために、裏社会と伝手を持つ人間を目明しとして、雇っていた。そして、彼らは近隣諸藩の同様の職の人間とつながりをもち、越境犯罪に対処していた。窃盗が以外に多い。10人ほどで徒党を組んでの強盗なんてのがあって、しかも、犯人を見つけられなかったというのがすごいな。やはり、動産としては、服の割合が多い感じ。それを、質屋で換金する。逆に、その経路で捕まる。あるいは、偽札作りとか。
 しかし、小松藩、遊びがすべて「奢りがましきもの」って、善政はしいていたみたいだけど、面白みのないところだなあ。だからこそ、近世を通じて生き残れたのだろうけど。
 学問を志す人間に奨学金を出したり、飢饉のために米を備蓄していて、領内から餓死者を出さないと、実際に、割と善政を敷いている感はある。飢饉のために食糧を備蓄しているというのがえらいなあ。大抵の藩は、収入のために領民が飢餓に苦しんでいる状況で、米を大坂に搬出したりしているのに。


 ラストは、海防と戊辰戦争出征。小松藩にも海岸があるから、急報と部隊派遣の体制が整えられた。しかし、指揮官用の公用馬が一頭しかいないとか、大筒や法螺貝の状態が悪いとか、足軽が具足の整備の金がないと申し立てて支度金を出したり。最貧ぶりがすごい。戊辰戦争では、越後方面に総勢50名前後を出征させる。とはいえ、この規模の藩が前線に立つわけでもなく、同規模の藩をあわせて、後方警備を行った程度。それでも、長岡藩の反撃作戦で、戦死1名、戦傷2名の損害を出している。