新井潤美『執事とメイドの裏表:イギリス文化における使用人のイメージ』

 18世紀以降のイギリスの使用人各類型について、研究書や実在の人物の情報、小説のイメージなどから、どのように認識されていたのか。実際はどうだったのかを紹介する。時代が18世紀から使用人の文化が消滅する20世紀前半までと広く取り扱っているため、個人的な興味からは少し外れ気味。そもそも論で、あんまり19世紀に興味がないんだよなあ。現代のメイドさん文化に関しては、どうしてもヴィクトリア朝時代が、史料の残りかたからしてもメインになるんだろうけど、むしろ時間を遡って16-7世紀あたりの生活文化のほうが興味があるというか。
 参考文献を見ると、かなりの小説が翻訳されているのだなあ。聞いたことのないようなタイトルも丁寧に拾われているのだな。


 使用人文化がなくなった後執事と従僕が混同されがちとか、メイドが玉の輿に乗るのは難しそうとか、イギリスのメシマズ文化の淵源は乳母に子育て丸投げのせいだろとか、いろいろと興味深い。
 19世紀のイギリスの料理は庶民が好む「プレイン」(あっさりとした)料理とプロの料理人が作る手の込んだ「プロフェッスト」な料理の2種類があった。前者は、いわゆるイギリスの茹で殺した料理に自分で味付けするようなタイプの料理。後者はフランスから料理人を輸入した感じといったところ。労働者階級の乳母は、完全に前者の好みなので、子供にもそのような料理を供する。むしろ、手のこんだ料理を排斥する。結果、労働者階級の食事好みに上流階級も染められるという。それが、寄宿学校の質素な食事で強化されてしまう。
 というか、「プレイン」な料理の評判の悪さよ。「プレインな料理の料理人と呼ばれる者は安い賃金で、食べ物を台無しにしてくれる料理人のことである(p.112)」って、イギリス人にとってもメシマズはメシマズだったのね…


 紹介されるのは執事、ハウスキーパー、料理人、メイド、従僕と下男、乳母、ランド・スチュワードとガヴァネスの7類型。執事とハウスキーパーは管理職で、コレにくわえて料理人と従僕が上級使用人扱い。最後のランド・スチュワードとガヴァネスは紳士階級の末端に加わる、上流階級としては周縁的な存在で、他の使用人とは異なる。Servantというのが、そもそも、家臣というか、仕える人なのに対し、不動産管理人と家庭教師は同じ階級で雇用関係にある人という扱いのようだ。


 執事は使用人としては、上がりのポジションという感じか。もともとは酒蔵の管理と食膳の準備が職掌だったけど、家令の仕事を吸収して男性使用人の管理なども行うようになった。あとは、基本の職掌がお酒の管理だけに、お酒好きというイメージが付くし、引退後の仕事としてはパブのオーナーなどが多かったとか。戯画化されると酔っ払いになるし、逆に上昇志向の強い優秀な人間として描かれる。


 ハウスキーパーは女性使用人の管理を担う役職。なんか、風紀委員長として恐れられている感じがおもしろい。実際、若いメイドが食われるのを防ぐ立場の人間でもあった。「主婦」としての役割を果たす象徴が家の鍵束。家の主人より、むしろ家に愛着を持っているし、観光客を案内して、家の調度を説明するのは彼女の役割だった。


 料理人も上級使用人側。キッチンメイドから昇進したプレインな料理を作るタイプと、フランス革命後イギリスに流れてきた芸術家肌のセレブリティ・シェフに別れる。後者は、高待遇で人材の奪い合いもあったとか。


 メイドに関しては、雇い主や同僚からの性的圧力がけっこう強いとか、そもそも19世紀のメイドは主人の前に姿を見せないようにさせられていたとか。そのあたりが印象的。


 当時の社会では、むしろ男性使用人である下男のほうが目に付いていた。人に見せびらかすために、高身長で見目のよい者を高待遇で雇った。身長で賃金が違うというのが印象深い。それだけに虚栄心が強い人物として描かれがち。食膳関係の準備、客の接遇、メッセンジャーボディガードなど人目につく仕事が多かった。顕示的な意味を失うと、真っ先に淘汰されて、パーラーメイドに取って代われるというのも皮肉だな。
 従僕は、主人についてお世話する係。下手すると、日常生活全部おんぶに抱っこなのか。


 乳母は子供のお世話がお仕事の役職。日本語の乳母のような授乳は、また別の人がやるし、授乳を行うウェット・ナースはむしろ、子育てに関与しないという。母性本能が強調するようになると母親が申し訳のように授乳だけやるというのも。というか、完全に子育ては乳母に委任で、両親は一日の特定の時間だけ会う。一番親密なのは乳母というのも、なんかいびつな感じがするな。そして、乳母は、子供たちが一定の発達段階に入ると、予告もなく解雇されて、子供たちの心に傷を残すという。

 使用人のなかでも特に、主人とともに外出したり訪れる客と接したりする機会の多い男性の使用人の数は、雇い主の富を表わすものであった。そもそも、女性の使用人はそう多くはいなかった。中世のアッパー・クラスの家では、女性の使用人は、女主人に仕える女性(侍女のようなもので、階級は女主人と同等に近かった)、乳母、それに洗濯女くらいで、掃除や皿洗いなどの家事も男性の使用人が行っていた。女性の使用人が増えるのは十七世紀になって、法律家、聖職者、役人といった階級の人びとや、裕福な商人が使用人を雇い始めてからだった。女性のほうが賃金が安く、扱いやすいというのが大きな理由であり、十八世紀においてはこれらの女性の使用人の数はさらに増えていった。特に小規模の家では、女性の使用人が多かった。したがって、男性の使用人を多く抱えているのは、その家のステータス・シンボルだったのである。p.17-8

 メモ。