奈良の件とかメモ

http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20061024#p2追記部分も含めれば、言いたい事は分からなくもない。
しかし、なんというかずれを感じるというか…

私は、表に出たことで、警察が調査が入るのは悪くないと思っている。遺族には18か、19の病院がなぜ断ったのか、いちいち理由を聞くことできないしな。たぶん「個人情報」を盾に拒否されるだろう。どうしてこんなことが起きたのかってのも、この騒ぎにならなければ、問題にもならなかっただろう。遺族も「なんで死ななきゃならなかったの?」という疑問の答えを、どうにか聞きたいんじゃないか。

正直、警察が入ったからと言ってまともな情報が出てくるとは限らない。
刑事訴追が視野に入ってきた時点で、保身の方に対応が傾くだろう。「防衛医療」なんて部分は絶対に出てこないだろう。
航空・鉄道事故調査委員会の報告書が刑事訴追に使用されることで、事故原因の究明が逆に難しくなると批判されているのと同様に。まして、医師の場合、医師免許などにも関わるだろうし。
確かに「患者にとって風通し」がよくなったかも知れないが、それが医師の士気を支える不可欠な何かも完全に破壊してしまったのだろう。
良くも悪くも、日本の医療の世界は前近代的前近代的な、個々人の職人的な技量とプライドで支えられていた世界だし。
また、医師の「説明」と患者側が聞きたい「説明」のずれや、限られた兆候から病気を推察し治療する、しかも個体差が大きいというのは、「ミス」と正当な処置の境界があいまいなことが、医者以外の世界には分かりにくいというのもあるかも。
思うに、実は「病気」って、ほとんど治らないんじゃということ。
感染症の類は侵入した異物を排除すれば治療できるが、成人病以下、慢性病というものは、結局のところ患者が病と折り合っていくしかない、「体質」みたいなものと思うようになった。

んだが、医療業界の「ヒヤリハッと事例」の検討みたいなことを調べていたときに、“こんなことも、まだやっていないのか”と驚いたことがあった。

ここの部分はもう少し詳しく展開してもらいたい部分。単純ミスで起こる事故は改善可能な部分だろう。
しかし、こういうヒューマンエラーも、絶対になくならないものだしなあ。