小島壯明『寄生虫病の話:身近な虫たちの脅威』

寄生虫病の話―身近な虫たちの脅威 (中公新書)

寄生虫病の話―身近な虫たちの脅威 (中公新書)

 表題のとおりの寄生虫病の話。第一章は日本の寄生虫病、第二章は世界の寄生虫病についての調査した経験を語っている。第三章は寄生虫が宿主の免疫系をどうやり過ごして生き残っているかについて、遺伝子やタンパク分子の作用から解説しているが、後半はついていけなかった。遺伝子とタンパク分子の話って、どうしても詰まるな。化学の知識がないからなあ。第四章は日本の寄生虫病制圧の歴史で第五章は日本の国際協力について。それこそ30年ほど前までは、日本でも寄生虫って普通にいたんだよなあ。
 第一章は日本での寄生虫病の診断経験についての話だが、いろいろと寄生虫っているものだなと感心する。人獣共通感染症については、野生動物の感染を制圧することは不可能だろうから、将来的にも付き合いは続くのだろう。ニホンザルの持つサナダムシが子供に感染した事例は、人間活動の前線が後退している現状では、都市周辺で問題になるかもしれないなと思った。そう考えると、寄生虫関係の講座の縮小は問題なのではないかと思う。感染症については、安全保障の問題として、維持する必要があると思うのだが。他に、アニサキスは割と有名だが、ペットから感染する寄生虫とか沢ガニの生食で感染する寄生虫が紹介されている。あと、漢方医に勧められて、腰痛治療にナメクジを呑みこんで広東住血線虫に、胃が悪いからドジョウを丸のみして顎口虫と棘口吸虫に二重感染した事例は恐ろしいな。そんなもん勧めるなよとしか。
 第二章は世界各地の寄生虫病について。南米、東南アジア、アフリカの事例を解説。どこも結構深刻な状況なのだな。象皮病は見た目がすごいから、差別されがちなのだろうな。あと、ベネズエラの芽殖孤虫が怖い。分裂して急増するというのが想像しただけで。感染例は、今のところ世界で14例だそうだが。日本の症例とベネズエラのを比べた結果、遺伝子が一致するそうで、世界の各地に広く生息しているのだろうな。
 第三章はパス。第四章は日本の寄生虫制圧の歴史だが、寄生虫研究の歴史については詳しいが、公衆衛生としての取り組みの部分についての記述は弱いような気がした。また、このあたりについては、瀬戸口明久『害虫の誕生』(ISBN:448006494X)と飯島渉『感染症の中国史』(ISBN:4121020340)も併せて読むと面白いと思う。台湾のマラリアや日本住血吸虫については記述が重なる。
 第五章は、世界各地での日本の援助について。国際寄生虫対策アジアセンター(ACIPAC)での活動経験について語られているが、五年でやめてあとかたもなくしてしまうのは、援助のありかたとしてどうなのだろうか。公衆衛生関係の援助はもっと息の長い取り組みが必要なのではないかと思うのだが。10年、20年は当たり前といった感覚で取り組まないと、効果が定着しないだろうし、ヘタすると耐性株なんかが蔓延して、日本にも悪影響を与えかねないと思うのだが。先日感想を書いた『スラムの惑星』やローリー・ギャレット『崩壊の予兆』(ISBN:4309251722ISBN:4309251730)などが描く状況を考えると、この先の寄生虫病に対する見通しは暗いものにしかならないが。80年代までの「ワシントン・コンセンサス」による公衆衛生システムの破綻と、それ以後も回復は望みえない状況を考えるとな。
 しかし、こういう病気関係の本を読むと、自分も体調が悪くなってくるような気がするな。感染とか大丈夫かなとか。


以下、メモ:

 ところが、ここへきて乳牛の間で再燃したわけである。おそらく、ミヤイリガイがわずかながら生息し、日本住血吸虫が野ネズミの間で小規模の感染を繰り返しつつ命脈を保っていたところへ、この吸虫に感受性の強い乳牛が放牧されたため、このような事態が生じたものと考えられる。利根川流域のミヤイリガイ生息地は、千葉県が自衛隊に依頼して火炎放射器で焼いた後、他の場所の土で埋め尽くし、放牧地はゴルフ場になった。p.16

 1970年に利根川の河川敷で日本住血吸虫が発生したときの対策。ミヤイリガイが中間宿主のため、その根絶が対策のポイントとなる。そのため、火炎放射器に埋め立てとなるわけだが。すごい乱暴だなとも感じる。ある意味、大規模な環境破壊だよなあ。仕方がないとはいえ。日本でもそうだが、水路のコンクリート化などで対処するのだが、この寄生虫の分布が広い中国では大変だろうな。そもそも、日本では甲府盆地広島県片山地方、筑後川流域など分布が偏っているが、どうしてだろう。移入種なのか、遺存種なのか。
 こんなサイトがあった
宮入慶之助記念館(ミヤイリガイの発見者を顕彰するサイト)
 死の貝
 医学地理学から見た日本住血吸虫面

 ACIPACが守備範囲にしていたメコン川流域諸国のマラリア流行状況をみてみると、人口1000人あたりの年間患者発生数が50人を超す地域は、ラオスカンボジアベトナム南部山岳地帯、そしてミャンマーと、タイの大部分を取り囲む形で広がっている。1999年のタイ保健省の資料には、タイ人の患者は12万8830人であって、そのほかに外国人患者が7万9490人であったことが記されている。ここで重要なことは、外国人患者の91%がミャンマー国籍の人々で占められていたという事実である。実際、タイ北西部のミャンマーとの国境地帯の罹患者数は、タイ平野部の10倍以上になっている。p.52

 他はともかく、ミャンマーには介入のしようがないよな。失敗国家は迷惑だな。

 このような状況に対して小宮らは、感染者の治療のみならず予防対策について糞便管理と殺貝対策に重点をおいた提言をした。特に殺貝対策に関しては、火炎焼却法や石灰窒素などを使用する物理化学的殺貝対策のほかに、日本の住血吸虫症対策の経験やミヤイリガイの生物学的特性(ミヤイリガイ生存のための食物や産卵条件)を勘案して、各種の環境改変による殺貝対策を提言した。それには貝生息地の土埋法、クリーク・沼・湖などの岸壁の石垣化とコンクリート溝渠の構築、沼沢・湿地の干拓などが含まれていた。
 実際、上海近郊の青浦区や湖北省東西湖区において、この提言に基づき、環境改変によってミヤイリガイの激減に効果を挙げて流行が終焉した地域もある。p.60-61

 中国でのミヤイリガイの駆除。ものすごい自然環境の破壊でもあるな… あとは、日本の植民地医学の成果が、中国に移入されたという点に関しては『感染症の中国史』参照。

 そうした状況下、佐々学以来、私まで三代続いた「寄生虫研究部」が、まさに「スクラップ・アンド・ビルド」の標的になりそうだと感じた私は、研究部の居所、というよりは寄生虫研究の今日的意義はどこにあるのかという意味を込めて、「寄生虫の居所」を退官記念講演のタイトルとした。講演では、寄生虫分子生物学や免疫学の標的と十分なり得ること、国際的にも重要な感染症分野であり、この分野に取り組むことは国際貢献にもつながることなどを説いたが、「寄生虫研究部」は私の予感通り大学改革・組織再編の波に呑み込まれて消えてしまった。p.94

 金もらってるはずの東大でもご覧のあり様。マラリアが戻ってきたら酷いことになりそうだ。