熊本大学埋蔵文化財調査室主催の講演会を聞きに熊大に行く。
県立図書館で熊本史学会の例会もあったのだが、こちらはそのうち論文になるだろうからパス。
講師は3人。小畑弘己「熊大を掘る:構内遺跡発掘とその成果」、檀佳克「本庄遺跡からみた熊本の古墳時代」、大坪志子「縄文時代のアクセサリーと熊本の玉つくり」。最初の小畑氏が4-50代、他の二人は20代の人。やはり経験は大事か。
以下、メモからごくおおざっぱに。立ったまま、文章を書くのは無理だ…

  • 小畑弘己「熊大を掘る:構内遺跡発掘とその成果」

熊大構内の発掘の概観。
熊大のキャンパスのほとんど全域が遺跡に指定されている。再開発にともなって、黒髪南・北地区、大学病院がある本庄地区の発掘が多い。
遺跡については熊大ホームページ内の構内遺跡紹介を参照。
個人的に興味があるのは、黒髪キャンパスの官道跡とくすの木会館敷地から出土した馬の字を彫った土器の話。蚕養駅の存在が示唆されるそうだ。
また、本庄の熊大病院敷地からは、耵本・耵本寺と彫った奈良・平安期の灯明皿が出土し、豪族の氏寺の存在が示唆されること、現在の九品寺(くほんじ)の地名との関連が興味深い。この地域に豪族の拠点が存在し、したがってこの周辺にある程度集中して定住生活が営まれていたのだろう。

  • 檀佳克「本庄遺跡からみた熊本の古墳時代

後半だけまとめると、熊本の土器は弥生時代には強い地域性を帯びていたが、古墳時代に入ると関西方面の影響を受けるようになる。
本庄遺跡からは古式土師器が大量に出土し、それらは薄く丁寧な作りのものが多い。また、九州各地から持ち込まれた土器が多く出土する。
他地域からの人・ものの流入の拠点の可能性がある。
個人的には、後に耵本寺を建設する豪族との連続性に興味がある。

  • 大坪志子「縄文時代のアクセサリーと熊本の玉つくり」

この講演では、石製の勾玉・管玉・丸玉の素材がテーマ。
石製装身具の素材を蛍光X線分析で調べると、結晶片岩様緑色岩が多い。報告書では、ひすい・緑色片岩などとされているが、実際には大半が結晶片岩様緑色岩だった。
それ以前の時代には砂岩・頁岩など身近な石が素材だったが、勾玉の時代には結晶片岩様緑色岩が急増する。縄文人は緑色の石にこだわりがあったようだ。
結晶片岩様緑色岩の出土は、熊本平野や鹿児島の大坪遺跡・上加世田遺跡からが多い。熊本の山海道遺跡・太郎迫遺跡からの出土が多い。原石・半製品も出土。


今日は腰痛を押して出かけたが、やはり大学の講義用のいすは腰によくなかった。