弥生の甕棺、地表には目印 熊本市新南部遺跡群

https://kumanichi.com/news/local/main/20131210001.shtml

熊本市東区新南部の新南部遺跡群から、弥生時代中期の甕棺墓[かめかんぼ]がほぼ完全な構造で複数出土したことが9日、分かった。墓の地表に無数の石を並べた標石(墓の目印)も出土。県文化課によると、甕棺墓の上部構造まで残る例は全国でも数例で、甕棺墓の構造解明に役立つ極めて貴重な資料という。
 白川の拡幅工事に伴う県教委の調査で見つかった。調査区域の約1500平方メートルは、墓域の一部とみられる。
 県文化課によると、出土したのは甕棺墓7基と木棺墓3基。うち2基の甕棺墓には、標石とみられる石群が残る。複数の標石を並べた甕棺墓は全国でも珍しいという。石を円状や不規則に並べた標石とみられる遺構も複数見つかっており、墓の数は増える可能性がある。
 甕棺の長さは約50センチから1メートル超で、ほぼ完全な形のものもある。墓域を区切る溝跡や、墓域と集落を結ぶ通路のような遺構も確認されている。
 一帯は白川左岸沿いに位置し、凝灰岩の岩盤で囲まれた安定した地形であるため、2200年近くそのままで残ったとみられる。
 調査を指導した「熊本広域大水害に伴う調査検討協議会」の甲元眞之委員長(元熊本大教授、考古学)は、「弥生時代の埋葬形態が当時のまま残る例はほとんどなく、非常に重要な遺構」と話している。県教委は来年1月11日午前10時から、一般向けの現地説明会を開く予定。(浪床敬子)
 現地を視察した文化庁記念物課の禰�偖田[ねぎた]佳男・主任文化財調査官の話 石が群集している標石は見たことがない。遺構の保存状態と内容も良く、北部九州の弥生社会のあり方を知る上で、非常に興味深い。溝が確認されていることから、2200年前に地域を治めた首長一族の墓域の可能性がある。現状のままで保存して後世に伝えてほしい史跡だ。

 メモ。11日に現地説明会があるのか。集落への通路らしき遺構があるというのが興味深いな。このあたり、対岸も墓域だし、葬送と関係が深い理由があるのかね。