小畑弘己他『熊本歴史叢書1:古代上:遺跡からのメッセージ』

 熊本の歴史の連続講演を、5冊にまとめた本の一冊目。人類の発祥から弥生時代までを対象にしている。とりあえず、石器とか土器なんかを図面で見ても、ピンと来ないことはよく分かった。


小畑弘己「東アジアの旧石器文化と日本人のルーツ」
新東晃一「上野原遺跡と南の縄文文化
山崎純男縄文人の生活:最新の貝塚調査から」
水ノ江和同「曾畑式土器:縄文時代の海外交流」
甲元真之「農耕社会の形成」
中橋孝博「戦う弥生人倭国大乱の時代」
高島忠平「弥生人の信仰:銅鐸・銅矛・銅剣祭祀と鏡祭祀」
安本美典邪馬台国学」
 この巻に収録されているのは、以上の8本。
 一番目の小畑講演は人類の進化から旧石器時代沿海州から朝鮮半島に広がる文化圏と日本列島の関係、九州の旧石器文化の地域交流など。
 新東講演は、鹿児島県を中心に早い段階で成熟した縄文文化が存在したこと。その文化は鬼界カルデラの噴火で壊滅したという。
 山崎講演は貝塚の話。かつての貝塚の発掘は土器の編年が目的だったこと、縄文人の生活圏全体を見渡す研究はほとんどないことなど。堆積する貝の組成の変化で海進海退の状況が分かるとか、貝の剥き身作りが澱粉食の普及によるのではないかなどの指摘が興味深い。
 水ノ江講演は曾畑式土器について。朝鮮半島の土器との類似が指摘されるがそれほど似ていないこと。一方で、漁労技術などで玄界灘を通じた文化交流があったことの指摘。
 甲元講演は、縄文時代から弥生時代の農耕の話。割と縄文時代の農耕に関しては慎重な姿勢なのかな。まあ、個人的には極限まで発達した採集とごく原始的な農耕ってのは、大した違いがないんじゃねと思っているが。縄文時代後期(4千から3千年前)に山東省あたりにまで稲作が拡散することから、日本列島での農耕はこの時期以降ではないか。山東省・朝鮮半島・北九州に共通する逆T字型釣り針の存在から、この時期、共通する文化が存在し、したがって稲作も導入されていたのではないかとする。あとは、弥生時代の稲作の収量の低さとか、農耕社会が特定の食品に偏る状況などを指摘する。
 中橋講演は、発掘された古人骨に残る傷などから、戦争の状況を推測する。縄文時代には確実に戦闘で負傷したと思われる人骨はほとんどないこと。一方、弥生時代北九州では数十人規模程度の戦闘が行われていたこと。あるいは、中世の事例だが、鎌倉幕府滅亡時の死者を埋葬した材木座海岸の人骨から、明らかに戦闘で殺された事例でも、骨から痕跡が見つかるのは一割に満たないという指摘が興味深い。
 高島報告は祭祀用具に見る信仰のあり方。縄文時代の精霊信仰から弥生時代の穀霊・祖霊信仰への変化。銅鐸が穀霊・精霊信仰の用具だったのに対し、鏡が祖霊信仰と首長支配の確立の指標と指摘する。あと、記紀を見る限り、鏡を下位の権力者に贈与する習俗は見られず、基本的には上位の権力者の下に集められたのではないかとの指摘が興味深い。
 安本報告は題名どおり。九州説に立つもの。個人的には、邪馬台国というのを頭から追い出して考えたほうがいいんじゃねと思っていたりするが。


 以下、メモ:

 最近、私が発掘調査を担当した天草郡五和町御領に所在する一尾貝塚の発掘調査で貝についておもしろい所見を得ることができた。貝塚には拳大くらいの石がたくさんあり、それらにはどの石にもマガキが付着している。どうして石についたマガキが多いのか。縄文時代には、一尾貝塚を形成した人々が貝を採集した場所と考えられる内湾の地域は砂底であったと考えられ、もともと石はない所であり、また、周辺の丘陵は阿蘇溶岩が厚く堆積し、小石の供給源もない。このことから、一尾貝塚を形成した人々は砂地の内湾に石をまいてマガキの付着、育成を促すような養殖をしていたのではないかと推測することができる。まさに、縄文人の知恵をみる思いである。p.90-92

 縄文時代の養殖。よそからわざわざ、石を運んで、まいたのか。こういう特定の有用な生物を支援するようになると、農耕まであと一歩って感じが。この場合、カキだけど。

日本書紀』・『古事記』にも記されているように、地方の豪族が上位の権威に服従する際には、上位に対して、神宝であり祖霊祭祀の祭器である鏡を献上する儀礼を行っている。また、副葬品としての鏡には、最近発見された奈良県の黒塚古墳のように棺内に納められているものと、棺の外に置かれているものの二つの形態がある。棺内のものは、被葬者の身分を直接表すものであり、被葬者が生前携わった祖霊を祀るものである。棺外のものは、上位の権力者が下位の支配者から献上されたもので、祖霊祭祀を含めた祭祀権を上位の支配者に委ねるものと考えられる。このように考えた場合、一部で定説化されている、鏡を下賜することによって、支配と従属の関係をつくって、政治的拡大を遂行し、古代国家成立過程を説明しようとする考えとは、真っ向から対立する。p.217-8

 メモ。文献からすると、鏡の分配・下賜という行為は疑われると。