小畑弘己『タネをまく縄文人:最新科学が覆す農耕の起源』

 うーん、これ、まず最初に圧痕法についての解説を持ってきた方が、すっきりした構成になったんじゃなかろうか。
 何冊か借りた縄文本の一冊目。


 土器の表面や内部に練り込まれた穀物や昆虫を、表面のものはシリコンゴムなどで型取りして、走査型電子顕微鏡で解析。あるいは、内部に練り込まれたものはCTスキャンによる3Dデータを分析。それによって、低湿地で保存された植物遺体や炭化した穀類といった、いままで初期の農耕を議論するための資料とは異なる情報が得られる。
 炭化した穀物などは、後代のものがコンタミして、C14で調べるともっと新しい時代の物が多かったりする。しかし、圧痕は、その土器が焼成された時に存在したことが確実な資料で、年代測定の面でも信頼性が高い。


 全体としては、縄文時代の大豆栽培の発見とそれに伴う「農耕社会」の定義をめぐる議論、コクゾウムシの研究、イネ・アワ・キビの渡来時期の検証など。いろいろと、縄文時代観が更新されて、おもしろい。


 最初は縄文大豆の発見。
 2007年に大豆の圧痕を発見。これを大豆と確定するために、東北地方の在来種を水に漬けて、大きさの変化を調べるなどの手間がかかっている。ここから、大豆や小豆、エゴマなどの圧痕から、栽培植物の研究が活発化した、と。
 大豆、小豆、荏胡麻が日本列島で独自に栽培化された可能性が高い。現存する栽培品種の遺伝子を系統や地理的特性に注目して分析したら、どういう結果が出るのだろうか。あとは、栽培化の影響が目に見えるようになるまでの、時間の長さも印象的。
 東日本で始まった、これらの栽培化が、この地域の集落の巨大化を可能にした。農耕の影響の大きさ。世界標準の新石器時代文化だったということなのかねえ。その、農耕の道具が石鍬だった、と。
 日本の歴史において、弥生時代にセットで入ってきた水田稲作の影響力の大きさは特筆すべきものではあるが、それに目を曇らされてはいけないのではなかろうか。


 続いては、貯蔵穀物を食い荒らすコクゾウムシなどの貯穀害虫について。土器に圧痕として残されるコクゾウムシなどの昆虫は、低湿地環境などで検出される昆虫と明らかに種類の組成が異なり、丘陵上などの乾燥した遺跡、人間生活に近いところの昆虫や小動物が多くなる。基本的に、土器は室内で成形が行われたようだ。
 遺跡から検出される昆虫に関しては、なぜそこで出てくるかを検証する必要がある、と。
 どんぐりなど大きな実を食害するコクゾウムシは、穀物類と比べると大きくなりがち。あるいは、意図的に粘土に練り込んでいるらしき多数の圧痕を含む土器の存在。最古級のコクゾウムシの検出などなど。


 で、縄文農耕論で重視されてきた稲作や大陸起源のアワ・キビの検討。圧痕から見ると、弥生時代にいたるまで、それらが入ってきていた痕跡はない、と。縄文時代の遺跡から検出された炭化した稲などは、C14ではかってみると、後代のタネがコンタミしていた。
 意外と朝鮮半島との交流が薄いのが印象的。

 竪穴住居内で土器が製作されたとすれば、家屋害虫も含め、圧痕として検出されたネズミの糞やガの糞などの存在、そして食料としてもち込まれた様々な種実の存在から、屋内は、生活ゴミが散らばったあまりきれいとはいえない環境を想像させる。「定住革命」を提唱した西田正規氏は、定住生活を送ると家屋内の清掃が行われるようになると述べているが、圧痕資料からみれば、縄文時代の人々はこのようなゴミに対して意外と無頓着であったのかもしれない。このような場合、土器圧痕として入るタネやムシは、無意識に土器粘土中に入ったか、製作者がその存在を知っていても無頓着でそのまま粘土中に練り込まれたものと考えられる。これは、先に示したエゴマの場合の単位面積あたりの個数が二五個以下のグループの成因に相当する。(p.181-2)

 ゴミに無頓着だった縄文人。室内清掃なんかの衛生意識がいつから目覚めたのかというのも、重要な問題かもなあ。そもそも、竪穴住居は、お掃除に適した構造とは言えないし。