朝日新聞の志布志事件の記事から

2007年2月24日付の朝日新聞に、「指揮の警部、政敵と懇意」という見出しで、ライバルの県議と捜査の指揮をした警部が近い関係にあったことを匂わせる記事を書いている。その後、この件に関しては、他社も含めて続報がなく、実際にどうだったかはよく分からない。
記事によると、容疑に問われた中山氏は、03年春の統一地方選で現職に割り込む形で出馬、初当選を果たした。鹿児島県議・曽於郡区は、無風から、一転選挙になる。それに、現職の県議は不満を抱いたという構図のようだ。
以下、引用。

その曽於郡区には、県警関係者から、県警捜査2課の警部(56)と「親子同然の中」と呼ばれる県議がいた。
ある議会関係者は「無投票だったら県議は引退し、息子に地盤を譲るつもりだった。中山の立候補で計算が狂った」と言う。この県議周辺で、不満がくすぶり始めたと見る。
だが、県議は朝日新聞の取材に、「(警部の)弟の仲人はしたが本人とは全然関係ない」と語る。

03年4月13日、県議選投開票日。警部は親密な関係をささやかれる県議に会いに行った。警部は公判の中でその事実を認め、理由を問われると、「一般情勢的なことを聞きに」などと述べた。
踏み字」事件の被害者、志布志市のホテル経営、川畑幸夫さん(61)が中山さんへの投票依頼目的でビールを配ったとして県警から事情聴取を受けるのは、その翌日のことだった。