イエス・キリストを理解してない人たちへ、−(仏陀を理解していない人たちも)

www.tomabechi.jp
この文章に感じる違和感は、「矛盾がない」代わりに、祈っても何もしてくれない存在を信仰する意味があるのかなというところ。神が救う救わないを勝手に決めるのなら、別に信仰しなくてもいいじゃない。全く反対の世界観を持っていても、救済される可能性はあるわけで。
宗教学では、「暇な神」というそうだが。
基本的には、「宗教」というのは、次元を異にする存在との、「交易」あるいは「象徴的な交換」だと考えている。でなければ、なんで戒律を守ったり、布施なんぞするものか。