佐藤彰一『剣と清貧のヨーロッパ:中世の騎士修道会と托鉢修道会』

 中世修道院三部作、やっと読み終わった。なんか、ものすごく時間がかかった感じ。新書三冊で、丸一月半かあ。とはいえ、著者のリズムになれてきたのか、対象とする時代が親しいところに入ってきたせいか、この巻は、ある程度スムーズに読めたな。
 時代は中世盛期から後期。十字軍運動にともなって出現した騎士修道会、13世紀以降都市部に叢生した托鉢修道会が取り上げられる。それぞれ、思想的にも、新たな局面を体現している。前者は、「完徳」の体得を目指して祈りと瞑想の生活をおくる修道生活から、異教徒の抹殺が神への奉仕であるという概念が出現する。「聖戦」の時代の始まり。後者は、今までの複雑な聖書の神学的解釈を捨て、キリストの生涯を再現する「使徒的生活」の思想。また、ここから宗教改革に繋がる、個人的な霊性の探求という志向が出てくる。中世後期が思想的にターニングポイントなのか。


 前半は、騎士修道会について。テンプル、ホスピタル、ドイツくらいは知っているが、イベリア半島にもたくさんの騎士修道会が存在したのだな。これらは、「修道会」と称するだけに、修道戒律にしたがって生活するが、それぞれの修道会ごとに採用する戒律が違う。また、戦闘集団を維持するために、食に関する戒律などは緩和され、勝手に断食実践を行わないように、二人一組で食べるようにしていたというのがおもしろい。
 これらの騎士修道会は、本陣・地域管区・指令区という階層構造で組織されていた。また、テンプル騎士団は、東西間の送金のために金融活動に精を出し、フランス王室の財務管理などにも携わっていた。しかし、これが、中央集権化を進めるフランス王権の邪魔になって、粛清された。テンプルとホスピタルの反攻作戦の路線対立やテンプル騎士団廃止後、財産がホスピタル騎士団に譲渡されて、「受益者」となったとか。
 また、プロイセン地域で騎士団国家を形成したドイツ騎士修道会イベリア半島レコンキスタに関わった各種の騎士修道会についても、それぞれ、一章を割いて、解説される。
 というか、プロイセンあたりは、ずいぶん後々まで土着宗教が生き延びていたのだな。それを、力ずくでつぶしたのがドイツ騎士修道会と。商業をコントロールして、そこから収益を得ていたというのは、近世のプロイセン国家と同じ構図だな。あとは、造幣とか、軍馬の育成で有名だったとか。
 イベリア半島騎士修道会は、カラトラバ、サンチャゴ、アルカンタラ、アヴィスなどたくさんある。12世紀後半に、中東の十字軍騎士団をモデルに組織化された。それぞれ、独自の歴史的経緯で組織されている。騎士修道会への寄進が、魂の救いに大きな意義があると思われてきた。しかし、13世紀後半以降は、そのような認識が減退してきた。また、イベリア半島の諸国家の海外進出の尖兵になった歴史。特に、16世紀ポルトガルのインド副王32人のうち29人が騎士修道会所属だった。そういう視点では見たことなかったな。


 後半は、都市を活動の中心とした托鉢修道会に関して。フランチェスコ会ドミニコ会、ベギン会が紹介される。
 都市の格差社会の矛盾の中から、現れてくるという点では、現代の学生運動なんかと近い感じだな。都市と貨幣経済の発展の中で、都市民の喜捨に依存するというスタイルが、それ以前とは一線を画す。使徒的生活への熱狂で特徴づけられるフランチェスコ会カタリ派などの異端への対抗と学識志向が強いドミニコ会が、好対照といった感じ。
 裕福な商人の息子フランチェスコが、挫折から使徒的生活への沈潜へと展開してく姿が印象的。従来の聖書研究の寓喩的理解を拒否して、ひたすらキリストの生活をなぞらえようとするのが革新的。そういう点で、現在のキリスト教原理主義につながるのかな。
 一方、ドミニコ会は、創始者ドミニクスが、南仏におけるカタリ派との戦いの中で、「説教者」を養成する目的で組織化されたもの。ドミニクスの組織建設者としての能力が際立つけど、やっぱり、傍目から見て楽しさはないかもなあ。初期の段階で、構成員を大学に送り込んで、構成員の能力向上とリクルートを一気に行った学問志向。その後も、ドミニコ会では、学校が設置される。ドミニコ会は、大航海時代の海外布教の尖兵のひとつでもあるのか。
 俗人の女性が、俗人の身分のまま、祈りの生活を行うベギン派は、また、独自の特徴を持つものとして、一章を割かれている。教会組織の中でも、どう位置づけるかで苦慮していたらしいとか、キリスト教信仰の個人化の一つの表れで異端にもなりえた、と。中世後半の聖人認定では、司教出身男性がメインだが、俗人に限れば、女性の占める割合が大きい。教会が、そのような女性の修道実践への共感があった。また、内面的な信仰への傾斜が特徴で、神秘主義的な著作を著した女性も多く、このような個人での霊的思索が、宗教改革への呼び水となった。
 こうして、中世修道制の歴史は、近世に発展していく、と。