熊本博物館『ひとのすがた、いのりのかたち:肖像彫刻の世界』

 修復なった、雲巌禅寺に伝えられてきた東陵永よの頂相彫刻のお披露目をメインに、中世から近世にかけての熊本県内の頂相彫刻と近世に入ってからの大名などの武士を追善する彫像、近世後期のもっと庶民化した近世末期の上層町民の彫像や生き人形へ。
 日本における肖像彫刻が、信仰や供養と強く結びついてきたことが分かる。


 第一部は、中世の僧侶の肖像。祖師の姿を彫像に残し、それを拝することが、禅宗の学統を示し、教団の結束を示すということのようだ。結果として、禅宗の有名僧侶が残る。14世紀に作られた東陵永よの頂相彫刻や同じく14世紀作の寒巌義尹の二点の頂相彫刻が印象深い。東陵永よがシャープな小顔なのに対して、大慈寺など中世の肥後禅宗に大きな影響を残した寒巌義尹が、失礼ながらなんかアクの強そうな顔なのが興味深い。



 あとは、隠れ念仏の信者達によって守られてきた「木造親鸞聖人坐像」も印象深い。念仏宗禁制で弾圧された人々の心のよりどころとなってきた。伊集院忠棟が本願寺より下付され、伊集院氏滅亡後は、家臣北原善幸によって各地を転々としながら守られてきたという。


 こうしてみると、中世から受け継がれてきた彫像はけっこう、あるのだなあ。戦乱でごっそり破壊されたと言うわけではないのだな。


 第二部は、「さまざまな肖像彫刻」ということで、俗人の肖像群。




 平安後期の「木造男神坐像」が、菊池氏の初代菊池則隆の姿と伝えられているのが印象深い。続いては、肥後国一揆一揆の中心的役割を果たした「木造隈部親永坐像」。肥後から一掃された国衆たちも、17世紀あたりの段階では、こういう像が造られるほどのよすがが残っていた。生き人形師が作った加藤清正像も印象深い。ちょっと、顔が長くて。
 あとは、加藤正方、松井康之、懐良親王と、没後、かなり時代が隔たってから、追善のために製作された彫像たち。


 町人達の肖像もおもしろい。
 黄玄朴や永嶋良節の坐像のように、生前に姿を写し取って、後のよすがに残そうとする物。顕彰のために複数作られたとおぼしき、陶製の布田保之助坐像。蓮台寺の檜垣媼坐像。それぞれ、背景があっておもしろい。


 最後は、菱形八幡宮からレスキューされた神像が5点展示。わりと最近、県立美術館で見たような。平安時代の神像だから、ほんと貴重だよなあ。しかし、倒壊した社殿の残されていたので、やはりかなり傷んでいるのが。痛ましい。


 なかなか、興味深い展示だった。



 「木造愚谷常賢坐像」



 「木造仁叟康熙坐像」



 「木造雲居希膺坐像」


 いちいち、常用外の漢字が出てくるのは困るなあ。あと、ちょっと上から撮っているため、図録と全然印象が違うのがおもしろい。