- 作者: ローリーギャレット,Laurie Garrett,山内一也,大西正夫,野中浩一
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2000/11
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なんというか、現代社会のダメさ加減を見せつけられるような感じ。ちょっと、耐えられない。第14章で停止。
内容は、戦後のウイルス・細菌・原虫など病原体と人間との関係を描いている。南米での出血熱の話から、抗生物質の出現と楽観主義、遺伝子研究、発展途上国での社会の変動と都市の膨張が増幅する疫病、アメリカにおける性感染症と薬物注射の普及、エイズをめぐる混乱で上巻は終了。下巻は、エイズの話から、人間の側の変化によって出現する新たな病気、発展途上国の貧困と公衆衛生の問題、ここまでは読んだ。
特に下巻がつらい。現代社会のひずみが周縁に現れる。性と病の周縁、経済の周縁である途上国(特にアフリカ)。そのような場にいる人々が犠牲となる。
性の問題は、特に政治的問題になりやすい。エイズが政治的問題に転換し、効果的な対処が遅れた顛末。なんというか、レーガン政権って、本当に世界に害悪をまきちらしているな。エイズ問題をゲイの問題に矮小化し支出を抑えたり、サプライサイドの経済政策を採用したり、南米を中心とした謀略とか。実際に、効果的に対処が進んだとしても、どこまでエイズを抑止できたかは疑わしいのも確かなのだが。しかし、HIV感染者への抑圧的政策とか、エイズを道徳の乱れた人への天罰だと叫ぶ宗教屋とか、本当に暗澹とした気分にさせられる。
さらに輪をかけて無残なのが、アフリカを中心とした発展途上国の公衆衛生。予算の問題以前に、政治的混乱で疫病が拡散する。途上国での抗生物質のブラックマーケットでの流通と乱用が、抗生物質への耐性菌の出現をうながし、それが世界へと拡散している状況(この場合は、そもそも薬自体が入手しにくいブラックアフリカよりも東南アジア、あと、先進国も同罪)。そして、そのような耐性菌が、より強力な抗生物質を入手しにくい、途上国で犠牲者を拡大させていること。ついでに、先進国にも広まっていること。途上国の貧困が我々と無縁でないことを思い知らされる。
以下、メモ:
シカゴ大学の科学史家ウィリアム・マクニールは、何千年もの歴史のなかで、ホモ・サピエンスがなぜ微生物の攻撃に苦しめられてきたかをふり返った。彼は過去に起きた破局的な流行病は、人間の進歩がもたらした皮肉な結果と見ていた。そして、人間が自らの生活環境を改善するたびに、実は感染症に対していっそう無防備になっているのだと警告した。
「我々の力に限界があるという認識。それに意味があるはずです」とマクニールは続けた。「人間がより大きな勝利を収めるほど、我々は感染症を人間の生活の周辺に追いやることになり、それが破局的な大流行への道を開いている事実を心に留めておくべきです。我々が生態系の束縛から逃れるすべはありません。我々は好むと好まざるとにかかわらず、食うものと食われるものという食物連鎖につながれているのです」(上巻p.17)
人間の生活環境の変化と疫病。結局のところ、微生物と「共生」する必要がある。
そう言えば、アシモフの『鋼鉄都市』シリーズでは、植民惑星には細菌が存在せず、そのため長寿を実現しているという描写がある。これが、抗生物質と細菌制圧を楽観視する時代をまさに映していて趣き深い。
かつて世界銀行は、ヘルスケアを自らの使命の一部と考えていなかったが、そのことを視野に入れるようになったのは、1975年にその保健部門が、政府の資金を福祉や公共事業よりも企業に配分する方が経済成長を促すという「滴垂らし(トリクルダウン)」方式による近代化では、最貧困層の困窮状態は絶対に改善できないことを指摘した時からである。(上巻p.291)
トリクルダウン理論が30年以上昔に、無効だと指摘されている点について。
取るに足らない血液媒介性ウイルスが、世界の人口の大きな集団に侵入するには、重大な増幅を起こした段階がどこかにあったはずである。それまでにない何か根本的な出来事が起こり、それによって、人類と微生物とのあいだの古来からの釣合い関係が崩れたのに違いない。概念的に言えば、そうした増幅因子、古くからの棲家から急速に外へと拡大するいくつかの重要な機会を微生物たちに与えたのだろう。
70年から75年までのあいだに、世界はHIVに対して、恐るべき数のさまざまな増幅機会を提供した。複数のパートナーとの性交渉が、北米とヨーロッパのゲイやアフリカ都市部の異性愛者のあいだで急増していた。アフリカ大陸には注射針が医療用として大量に持ちこまれ、その後の追加供給が乏しかったために、注射を必要とする人たちに何百回、ときには何千回と再使用しなくてはならなかった。先進国では、アンフェタミンやコカインとともに、ヘロインの使用が急速に拡大していた。こうした地域にはそのほかの多くの性感染症が流行していたため、そうした患者の病気への抵抗性は低下しており、HIVが生殖器や肛門から侵入するのを容易にしていた。地球規模の血液市場は、何十億ドルという規模に急成長していた。霊長類を使った研究が拡大していた。そして世界中の国の政府が、当時は、かつてのペストや伝染病の時代は終わったと確信し、背を向けていた。(下巻p.82)
HIVの増幅因子について。気になったのがエイズと性行動の変化の話。日本は現状、かなりまずいのではないだろうか。性行動の変化、交渉相手の拡大というのは、まさにここ数十年の日本で起こっていること。通信機器を利用した交渉相手の拡大と性の開放化。実際、他の性感染症も増加傾向にあるそうだし、エイズの感染爆発が日本国内で今から発生するという危惧を感じる。
エイズの専門家たちは、教育を通じて、エイズへの対処を行なうべきだと本書では指摘している。今だからこそ、日本はエイズや性病に対する啓発活動を行なうべきなのではないだろうか。純潔教育とか、性教育にイチャモンつける人間が多数いることを考えると先は暗いが…
現状において根治の方法がないうえに、高額の薬を長期にわたって投与することになることを考えると、ちゃんと啓発して、感染の拡大そのものを防いだほうが結局は安上がりだと思うのだが。
これと同時に、ハマダラカの生息域も拡大しつつあった。通常この蚊は、きわめて限られた温度と高度でしか生きられなかった。理想的な生息地は、熱帯で海面と同じ高度の地域だった。ところが、人口密度が圧倒的な増加を見せ、免疫をもたない大量の人々が都会と田舎のあいだを往来するようになるにつれ、蚊たちも、それまで未開だった地域にまで足を踏み入れるようになった。たとえば、ハイマンは、ルワンダでマラリアが拡大するのを目撃したが、この国の蚊とマラリアはそもそも、何千年ものあいだ、人口の密集した低地に限って存在していたのだ。同じように、スワジランドでも、低地にある果物缶詰産業が拡大したとき、遠く離れた同国内の、ハマダラカが存在しなかった高地の人々が引き寄せられていた。高地の人々が働きに出た低地の缶詰工場は、マラリアが流行している地域だった。免疫ももたず、しかも薬剤耐性のマラリアに直面した高地の人々は、その多くが命を落とした。死を免れたごく少数の幸運な人も、血液のなかにマラリア原虫をもったまま山の村に帰った。そして高地にいた蚊が、都会帰りの労働者の血とともにマラリア原虫を取りこんだ。(下巻、p.170)
社会経済の変動とマラリアの拡大。人の急速な移動が、疫病を増幅する。ここは印象的。
レーガン政権は、法的手段によってエイズを阻止しようとする包括的政策を支持したが、この決定は、ジョナサン・マンの側にとっては目の上の大きなたんこぶだった。GPAがエイズの拡大防止の基本的手段として公衆教育を強調していたのに対して、合衆国政府は、税金に基づくエイズ教育はいっさい認められないという感情で寸断されていた。ホワイトハウスにおける緊張は、エイズ流行に対して草の根レベルのアメリカがもっていた真っ向から対立する反応を映したものだった。1986年、アメリカ全土の人々は、感染者を識別しない教育による流行阻止対策を支持する人たち、HIV陽性者やハイリスク集団を何らかの手段によって社会から隔離することを望む人たちにとに、まっぷたつに分かれていた。
……
攻撃の焦点は、同性愛者、「不道徳的な生活習慣」、麻薬常用者、不信心者――ウイルスによる破滅の遣いとされた人々――だった。中東のイスラム教の指導者たちと同様、合衆国のキリスト教の政治的指導者の多くも、エイズの流行が道徳的行為によって最もよく阻止できることに、宗教的メッセージが読み取れると確信していた。(下巻p.216)
なんともはや。他者を道徳をもって裁断する人間が一番問題。