鳴海邦碩『都市の自由空間:街路から広がるまちづくり』

都市の自由空間―街路から広がるまちづくり

都市の自由空間―街路から広がるまちづくり

 都市における、公衆への利用に開放された空間を「自由空間」として概念化し、前半の都市・集住の歴史の検討から、街路の系譜を引く「近隣型自由空間」と祭祀空間から広場や盛り場へと発展した「繁華地区型自由空間」の2種を析出している。その上で、現代の都市空間における自由空間のあり方について、高層マンション、商店街、公園について、実際の空間の調査結果をもとにどのような空間を目指すべきかが指摘される。最後の第6章は、旭川市旭川買物公園や八戸市のみろく横丁などの実践をもとにアーケード型商店街の可能性を述べている。


 個人的に関心のある、街路と自動車の侵入の問題について抜き出すと、以下のような記述がある。

 都心は高密度な空間利用によって成立している。ところが自動車は歩行者にくらべて、より大きな空間を必要とするのである。したがって、自動車が都心に侵入してくることによって、きめ細かな賑わいが失われることになる。一方で自動車利用を前提とした巨大なショッピング・センターが郊外に建設されていく。こうして、アメリカの多くの都市で、都心の衰退現象が起こったのである。p.37

 近世江戸の街路は交通のための空間であるにとどまらず、商業的利用などが広く行なわれ、あたかも町の庭のような様相を呈していた。このことは他の城下都市でも同じであったろう。ところが現代都市では、街路と沿道宅地が一体となったストリート・コミュニティは、街路への自動車の侵入によって、崩壊の危機に瀕している。この「町通り」に代表される空間を、近隣型自由空間と呼ぶことにしよう。p.149

 昭和初年に、大阪市内の八つの小学校の生徒約五千人に遊び場の調査をしたところ、表5のような結果がえられている。遊び場としては街路が大きな比重を占めていたのである。遊びのできる街路と、自動車が通るためにそれができない街路を持つのでは、住宅地のあり方がずいぶん変ってくる。p.151-2

 わが国の都市においては、伝統的に街路を軸に、両側の空地が一体となって「町」を形成しており、街路は重要な共有的な自由空間であった。そこには単に交通の空間のみでなく、「町」の庭的な空間として機能していたのである。
 戦前の都市計画家である菊池慎三は、街路のもつ機能について、次のように述べている。「人間や物資の交通も単に縦の交通に止まるものではない。横の交通すなわち沿道建築物への交通も極めて重要なる意義を有するものである」。p.168

 やはり「都市」と「自動車」というのは基本的に相性が悪いと考えて良いではないか。少なくとも、現在の道路行政や都市計画の分野では、道の両側の建物をつなぐ「横の交通」が等閑視されているのは確かだろう。基本的には、通過交通の効率化しか目指されていない。しかし、居住区あるいは商業地区もそうだが、安心して歩ける、動きやすい空間というのは重要だと思う。少なくとも住宅地の小街路での自動車の交通については、特に抜け道としての利用の、制限が必要ではないか。
 関連して、「近隣型自由空間」については、長屋の路地の半ば庭的な利用から、マンションの住居をもっと外に開く必要性を指摘し、「リビング・アクセス」などを紹介している。本書では、マンション内の共有空間についてのみ述べられているが、住宅地の戸建住宅についても、住居・敷地の閉鎖性があるのではないかと感じる。少なくとも、新興住宅地の戸建住宅は、外を向いていないし、それがコミュニティの形成に制限をもたらしているように感じる。水道の整備などで、生活がひとつの敷地で完結するようになった、職住の間が広がったなどの要因もあるのだろうけど。


以下、メモ:

 空地に成立した娯楽空間は、前章で述べた集住空間とは異なった構成を示す。前者では、そこに立地する見世物小屋なり茶店は、その機能に必要な空間を空地の中に切り取ることができさえすればいいのである。いってみれば、日常的な生活に必要な空間が不要なのである。
 娯楽空間のもつこのような性質は、空間の高密化にも抵抗はない。通行にあてられる空間を残し、これに連絡していれば、いくらでも高密化していくことができるのである。
 こうした性質は、空間の多様性にもつながる。
  (中略)
 界隈は字義通りとらえれば、「入り組んだ境界」ということになる。入り組んだところは隈となって明確ではないかもしれないが、界隈はやはり空間の実体的領域をを示しているのである。
 整然とした住宅地をさして界隈とはあまりいわない。入り組んだ境界は、機能や形態、規模において多様な空間の集積がつくり出しているのである。多様な形態や規模を持つ娯楽空間の集積は入り組んだ領域をつくり出しやすい。このような点から、空地性がもたらした娯楽空間の特徴を界隈性と呼んでいいだろう。p.132-3


 都市空間を構成する主な要素は建物であると普通考えられがちであるが、建物と建物の間の空間、つまり空地的な空間もまたきわめて重要な役割を果たしている。ヨーロッパでは、建物と建物の間の空間こそが、都市のクオリティの源泉であると認識されている。p.143

これは大事だと思う。幹線道路の歩道なんかは無残の一言だしな。

 「近年、ヨーロッパやアメリカにおいて、大都市のインナーエリア問題が深刻化し、その影響で公園も荒廃にさらされていると聞く。セントラルパークの再建に力があったといわれるオーガスト・ヘクシャーは、公園の利用を制限したり、食べ物を売ることを禁止することによって、公園を静的にしてしまうことを避けなければならないといっている。自然を保全するとか、自然を育成することは、公園の伝統的な目的の一つであるが、そこで人が活動するからこそ、公園の価値があるのではないか。日本には「花見」などの「遊山」の伝統がある。「遊山」は自然に親しむだけではなく、自然の中で遊び楽しむことである。このことを大事にしなければならないのではないか」。p.189

 同じニューヨークのユニオンスクエアもまた、郊外のショッピングセンターの成長のために周辺の小売業が衰退し、ドラッグの売人や売春婦、ホームレスがたむろする場所になっていた。このユニオンスクエアでは、農産物の青空市が再生の引き金になったのである。先のブライアンとパークもユニオンスクエアも、商売を導入することによって人々が集う空間に復活したのである。p.190-1

商業の重要性。本書は、全体として、小規模の商業による多様性や更新性を高く評価している。その点ではジェイコブスに通じるものがあるのかな。

 都市の自由空間は、そこを利用する人びとの意欲がなければ成立しない。単に公共的な空間であるだけでは、公共が管理しやすい空間になってしまう。利用する側の意欲と努力によって、公共的な空間は自由空間となれる。つまり、自由空間が成立するためには、その地域の人びとがまず、その空間の価値を発見することが不可欠になる。p.232

本書の文脈でいえば、地域の商店・商店街の意欲ということになるのだろうか。でもこの「意欲」というのは、とても重要だと思う。