ジェイン・ジェイコブズ『アメリカ大都市の死と生』その2

アメリカ大都市の死と生

アメリカ大都市の死と生

 積み残した読書メモを。大量に付箋を貼りまくってしまって、メモを作るのに苦労した。

 たとえば、ボストン市のノースエンドと呼ばれる地域に対する、正統派都市計画の対応を見てみましょう。これは古い低賃料の地区で、ウォーターフロントの重工業地区に続いており、公式にはボストン最悪のスラムであり市民の恥だとされています。それは、数々の偉い人たちが邪悪だといったために啓蒙的な人々ならみんな邪悪だと知っている、数々の特徴を備えています。ノースエンドは重工業地帯にもろに隣接しているだけなく、もっとひどいことに、ありとあらゆる職場や商業が、とんでもない複雑さで住宅を混じり合っています。住宅に使われている土地の住宅密度はすさまじく、ボストンで最高どころか、アメリカのあらゆる都市で見ても最高です。公園はほとんどありません。子供は道で遊んでいます。スーパーブロックどころかそこそこ大きい街区さえなく、とても小さな街区ばかり。都市計画の業界用語で言えば、それは「無駄な街路でひどく細分化されている」のです。建物は古い。ノースエンドでは。考えられるすべてのものがまちがっています。このためノースエンドは、地元MITとハーバード大学の都市計画・建築学部の学生たちにとってたえず課題のネタにされていて、かれらは教師たちの指導のもと、それを紙の上でスーパーブロックや公園プロムナードに変え、相容れない用途を一掃して、理想的な秩序と上品さに仕立てあげるという演習を幾度となく繰り返しています。その結果は、ピンの頭にでも十分彫り込めるくらいの単純きわまる無内容な代物となります。
 二十年前にわたしがたまたまノースエンドを目にしたとき、その建物――アパートに改修された、種類も規模もさまざまなタウンハウスや、まずはアイルランド、続いては東欧、最後にシチリアからの移民の洪水を住まわせるべく建てられた、四、五階建ての低所得向け共同住宅――はひどい過密状態で、その一般的な結果として、ノースエンドはひどく物理的に打ちのめされたような地区という印象を漂わせ、明らかに絶望的に貧しいところでした。
 一九五九年に再び見たノースエンドは、驚くほどの変貌を見せていました。何十もの建物が改修されていました。マットレスを立てかけた窓のかわりに、ベネチアン・ブラインドが見られ、少しペンキを塗り直した跡もありました。多くの小さな改装住宅は、かつてのようにそれぞれ三、四世帯がひしめくかわりに、一、二世帯しか入っていません。低所得住宅の一部世帯は(後に屋内を訪問してわたしがつきとめたことですが)古いアパートを二つぶちぬいて、洗面所や厨房などをつくることで混雑を緩和したのでした。狭い路地をのぞき込んで、ここなら古いむさ苦しいノースエンドが見つかるだろうと考えました。が、残念。きれいに目地を塗り直した煉瓦米、新しいブラインド、ドアが開くと流れ出す音楽がたくさんあるだけでした。それどころか、駐車場周辺の建物の壁が、断ち切られてむき出しになったままでなく、見られることを意図したかのようにきれいに修繕されてペンキを塗られているのを見たのは、それまで――そして今日まで――この地区だけでした。居住用の建物中いたるところに、無数のすばらしい食品店や、詰め物家具製造、板金、大工、食品加工などの事業所が入り混じっていました。街路は遊ぶ子供たちや買い物客、そぞろ歩く人々、おしゃべりする人々で生き生きしています。それが一月の寒い日でなければ、まちがいなく座っている人もいたでしょう。
 全般的な街路の、うきうきした親しみやすい健全な雰囲気はきわめて伝染力が高く、わたしはだれかとおしゃべりしたいだけのために、人に道を尋ねはじめたくらいです。それまでの数日、ボストン市をあちこち見てきましたが、そのほとんどはどうしようもなくがっくりするような場所ばかりだったので、ここは市の中でもいちばん健全な場所として印象に残るとともに、ホッとさせられたものです。でも改修費用がどこから出たのか想像もつきませんでした。今日ではアメリカの都市で、高賃料だったり郊外もどきだったりするところでない限り、まともな融資を受けるのはほとんど不可能だからです。答えを求めてわたしはバー兼レストランに入り(釣りに関する活発な会話が進行中でした)、知り合いのボストン市都市計画担当者に電話をかけました。
「いったいノースエンドくんだりで何してるの?」とかれ。「え、お金? ノースエンドなんかにお金も事業もいってないよ。あんなところへ何もいかない。いずれはね、でもまだまだ。あそこはスラムだからね!」
「スラムには見えないけど」とわたし。
「何言ってるの、町で最悪のスラムだよ。ヘクタールあたり六百十一住戸が詰まってるんだよ! あんなところがボストンにあるなんて認めたくないんだけど、事実だからしょうがいない」
「他に数字はある?」とわたしは尋ねました。
「うん。変なんだけれど、青少年非行率と疾病率と幼児死亡率はボストンで最低なんだ。あと、所得に対する家賃比率も最低。いやあ、そこの人たちはえらくお得な家に住んでるんだね。あとは……児童人口は市の平均ちょうど。死亡率は千人あたり八・八人で、市全体の平均十一・二人より低い。結核死亡率はずいぶん低くて一万人あたり一人以下、信じられん、ブルックラインより低いのか。昔のノースエンドは結核で市内最悪の場所だったんだけど、でもすっかり変わったな。まあたぶん強い人たちなんだろうね。もちろんひどいスラムだよ」
「だったらもっとこういうスラムがあったほうがいいわね。ここを一掃する計画があるなんて言わないでよ。あなたもここにきて精一杯勉強したほうがいいわよ」
「気持ちはわかるよ。わたしもしばしばあそこに出かけてひたすら歩きまわり、あのすばらしい活気ある街路生活を味わっているんだよ。そうだ、いまそこがおもしろいと思うんなら、夏に戻ってきて行ってみるといいよ。是非そうすれば? 夏に行ったらもう夢中になるよ。でももちろんいずれは再建しないとだめだけどね。あの人たちを道ばたからどけてあげないと」
 これはなかなかおもしろい。友人の直感は、ノースエンドがいい場所だと告げているし、社会統計もそれを裏付けています。でも人々にとって何がいいか、都市の近隣にとって何がいいかについて、都市計画家として学んだことのすべて、かれを専門家たらしてめているすべては、ノースエンドは絶対に悪い場所だと告げているのです。p.24-7

 長々と引用というか、転載したが、ここが本作品のつかみだよな。「都市計画家」にとって「最悪のスラム」とされる場所が、実際に歩いてみると活気があり、住民も建物に気を使う余裕のある、住み心地の良い場所だったこと。にもかかわらず、都市計画の専門家の目からすると、スラムはスラムという感覚で、全部建替えることしか頭にない。後の方の友人の専門家のとんちんかんな答えがそれを強調する。ここで、スラムと呼ばれる場所の中には本当は素晴らしい場所が多く、また、都市計画家は実態を見ることができないという印象を強烈に与えている。ここで、一気にジェイコブズの話に引き込まれる。
 いま、地図で見たり、ググってみると、ノースエンドはおしゃれで、おいしいレストランが多く、古い建物が残る歴史地区とされている。これも、「スラムクリアランス」が行われていれば、まるっきり消滅していたんだろうな。しかし、日本人の目からすると、街路が細かいって感じはしないな。これ以上でかい街区しかない町ってどんだけ、大味なんだよとしか。航空写真からは、あまり大きくない建物と緩やかにカーブを描いた街路が、目を引く。本書の刊行から半世紀たっても、それなりに街の魅力は維持されているようだ。あと、ボストンの郊外をストリートビューを見ていて気付いたんだけど、アメリカでは、住宅地の中には撮影の車が、あまり入り込んでいないようなんだよな。日本ではドンズマリまで入り込んでいることが多いが、おひざ元のアメリカでは、住宅しかないような街路には入らないようにって規制でもあるのだろうか。
 しかし、現在の都市の評価として考えるなら、様々な職業の混合や街路が多いというのは、悪い評価にはならないような気がする。活気がある証拠ととらえることができるだろうし。工業地帯に隣接や住宅密度の高さはちょっとマイナス評価になりそうだが。ただ、日本の都市計画では、現在もこういう場所は「良くない場所」として評価されそうだな。

 ある原理は実に普遍的に登場し、しかも実に多様できわめて複雑に異なる形で現れるので、本書の第二部ではその性質に注目しています。この部分がわたしの議論の核心となります。その普遍的な原理とは、都市にはきわめて複雑にからみ合った粒度の近い多様な用途が必要で、しかもその用途が、経済的にも社会的にも、お互いに絶え間なく支え合っていることが必要だということです。この多様性を構成するものはすさまじく異なっているかもしれませんが、それがお互いをある具体的な方法で補い合っていないとダメです。p.30

 この「粒度の近い多様な用途」の相互以前が都市には必要であるというのが、本書の思想の核心だよな。そういう意味では、新自由主義的な民間デベロッパーによる大規模開発も否定の対象だと思う。
 計画都市の住みづらさについて――コンビニのない街って記事を過去にリンクしていたが、まさにその住みにくさは多様性の欠如にあるのだろうな。

 ハワードは都市を破壊する強力な着想を打ち出しました。まず、都市の機能を扱うには、全体からいくつか単純な利用をふるい出し、そのそれぞれを概ね自己完結させることだと考えました。立派な住宅の提供こそが中心的な問題だとしてそれに専念し、他のものはそのおまけだと考えました。さらに立派な家というのを、郊外で見られる物理的特徴や、小さな町の社会的性質だけで考えました。商業というのは、決まり切って標準化された財の供給だと捉え、しかも自ずと限られた市場だけを相手にするものと考えました。よい計画というのを、一連の静的な行動だと捉えています。そのそれぞれにおいて、計画は必要なものすべてを予測しなければならず、いったん建設されたら、その後はごく最低限のものをのぞいてあらゆる変化から保護されなければならないと考えました。また都市計画を本質的に、権威主義まがいぼ世話焼き父権主義的な行為だと理解していました。自分のユートピアに役立つような抽象化ができない都市の側面には興味を持ちませんでした。特にハワードはメトロポリスの複雑で多面的な文化生活をあっさり無視しました。かれは、大都市が自警したり、アイデアを交換したり、政治的に動いたり、新しい経済的な仕組みを生み出したりする方法といった問題には興味がなく、こうした機能を強化する方法も考案できませんでした。というのも結局のところ、かれはそもそもその手の生活を念頭に設計しているわけではなかったからです。
 何に注目して何を無視するかという点のどちらでも、ハワードは自分としては筋が通っていましたが、でも都市計画の観点からはまったく筋が通りませんでした。それなのにほとんどのあらゆる現代都市計画は、このばかげた内容を拝借し、飾り立てたものなのです。p.35-6

 ハワードの田園都市に対する批判が当を得ているかどうは分かりかねるが、基本的ユートピア思想も、都市計画も、権威主義的というか、抑圧的だよな。思想としてはともかく、実行すると、好ましくない人間の大量排除という結果にはなる。

 アップタウンに住む友人の街路では、教会の青年コミュニティセンターが、夜ごとにダンスパーティーなどの活動を行って、うちの街路のホワイトホース酒場と同じサービスを街路に提供しています。正統派都市計画は、人々が自由時間をどう過ごすべきかについて、清教徒的でユートピア主義的な発想をたっぷりと抱えているので、その計画においては人々の私的生活に対するこうした道徳観が、都市の実際の仕組みと深く混同されています。都市街路の文明性を保つにあたり、ホワイトヒース酒場と教会の青年センターは、種類こそちがえ、公共街路の文明化というサービスの点ではほとんど同じなのです。都市にはこうしたちがいや、その他趣味趣向、目的、職業上の利害などが共存する余地があるだけではありません。都市はこうした趣味嗜好や性癖の異なる各種の人々を必要としているのです。人々の余暇を強制的に管理して、ある法的な仕組みを別のものにかわって押しつけようとするユートピア主義者などといった人々の嗜好は、都市にとっては無関係以上にひどいものです。それは有害なのです。都市の街路やその事業が満足できる、あらゆる正当な利益(厳格に法的な意味で)の幅が広く豊富であればあるほど、それは街路と都市の治安や文明にとってよいことなのです。p.57

 つまるとこと、用途指定や地域的な規制は問題ありと。確かに、この手の清教徒的な人っているよな。

 さて、都市の再開発プロジェクトを考えてみましょう――都市の多くの部分を占め、多くの旧街区を建て替えてつくられたもので、独自のグラウンドや独自の街路がこうした「都市の中の島」「都市の中の都市」「都市生活の新コンセプト」と広告に書かれたもののためにつくられています。ここでの技法もまた、縄張りを主張して、他のギャングを閉め出すことです。当初は、この柵は目に見えるものではありませんでした。警備員だけで、その境界線を強制するには十分でした。でも過去数年で、こうした柵は本物の柵になったのです。p.64

 ちなみに、甥のデヴィッドは十歳で、「都市の中の都市」と呼ばれるストイヴェサント・タウンで生まれ育った子ですが、わたしの家の外の通りを人が歩けるということ自体を不思議がります。「その人たちがこの通りで家賃を払って暮らしているのか、だれも見張ってないの? ここにいるべきじゃない人をだれが追い出すの?」p.66

 青年委員会のソーシャルワーカーたちのように、輝く都市や輝く田園都市デベロッパーや住民たちは、本物の困難に直面しており、手元にあって実用的な手法なら何でも使い、精一杯それに対応するしかないのです。かれらにはほとんど選択の余地はありません。どこであろうと都市が再開発されれば、縄張りという野蛮なコンセプトが続かざるを得ないのです。というのも、再開発された都市は都市街路の基本的な機能をおじゃんにしてしまい、それとともに必然的に、都市の自由もおじゃんにしてしまったからです。p.67

 ゲーテッド・シティの初期的な形だな。1950年代には、すでに出現しつつあったと。しかし、真ん中のデヴィッドの言葉が不気味だな。
 ああいう交通の邪魔は、アメリカの砂漠ならともかく、日本みたいな人口稠密なところには出現してもらいたくないね。

 人類学者のエレーナ・パディーヤは、ニューヨークの貧しくごみごみとした地区でのプエルトリコ人の生活を書いた著作『プエルトリコから来て』で、人々がどれだけお互いを知っているかを述べ――だれが信用できてだれが信用できないか、だれが法に反抗的でだれが法を守るか、事情通で有能なのはだれで、無知で無能なのはだれか――また、こういったことが歩道の社会生活や、これに関連した活動からどのようにしてわかるのかを述べています。これらは公共的な特徴を帯びた事柄なのです。しかしパディーヤは、台所に立ち寄ってコーヒーを一杯飲める人たちがどれほど選び抜かれているか、結びつきがいかに強いか、個人の私生活や私的な事柄に関わるほんとうに親しい人の数がいかに限られているかについても述べています。ある人の個人的な問題をだれもが知るというのは、品位のあることとは考えられていないと彼女は述べています。本人が公にしている以上のことをかぎまわるのも、品位あることとはみなされていません。それは個人のプライバシーと権利の侵害です。この点では、彼女が挙げている人々は、わたしが住んでいるアメリカ的で雑多な市街地の人々と同じですし、本質的には高所得者向けアパートや立派な高級住宅の住民と変わりません。
 よい都市の近隣は、自分の基本的プライバシーを守るという人々の決意と、周囲の人々からさまざまなレベルの交流や楽しみや助けを得たいという願いとで、驚くほどのバランスを実現しています。このバランスはおもに、きめ細かく管理されたささやかな細部で構成され、あまりにさりげなく実践されて受け入れられているために、通常はまったく不思議なこととは思われていません。p.77

 多くを共有するという一つめの結果の場合、隣人がだれか、あるいはそもそもだれとつき合うかについて過度に選り好みが始まります。そうならざるを得ないのです。わたしの友人のペニー・コストリツキーはボルチモア市のある通りで、不本意ながらうっかりこの苦境に陥っています。ほぼ住宅しかない地域の中の、住宅しかない彼女の通りには、かわいらしい歩道公園が実験的につくられていました。歩道は拡幅されてきれいに舗装され、狭い路面が車を遠ざけていて、木々や花が植えられ、中には遊具が一つありました。ここまでは、どれもそれなりに見事なアイデアです。
 しかしそこには店はありませんでした。幼い子供たちを連れて、自分たちも他人と何らかの交流をしようとやってくる近辺の母親たちは、冬に暖を取ったり、電話をかけたり、緊急に子供に用を足させるために、やむを得ず街路沿いの知人宅に入るはめになります。招き入れたほうが(他にコーヒーを飲める場所がないので)コーヒーを出し、公園周辺では自然とこういった社会生活がかなり生まれています。多くが共有されているのです。
 コストリツキーさんは立地条件の良い家に暮らす二児の母で、この狭くて偶発的な社会生活の真っただ中にいます。「都市に住んでいるメリットを失ったわ。郊外に住むメリットもなしにね」と、彼女。さらに悲しいことには、所得、人種、学歴の異なる母親たちが子供をこの公園に連れてくると、あからさまに親子ともども、ぶしつけに仲間はずれにされるのです。彼女たちは、都市の歩道生活がないところで生まれた郊外型の私生活には、ぎこちなくおさまります。公園にはわざとベンチが置かれていません。そこにおさまらない人々への招待だと思われないように、「一体感」人たちが排除してしまったのです。p.80-1

 日本では、後者のパターンでしか、社会生活が存在しないような気がする。前者のようなゆるやかなネットワークってあるのかね。後者の公園の話は、公園デビューとか、そういうのをもろに想像させるな。

 歩道での暮らしの社会構造の一部は、いわゆる公人を自認する人にかかっています。公人とは幅広い人々と頻繁に交流しており、公人になることに十分に興味がある人のことです。その機能を果たすにあたって特別な才能や知恵は必要ありません――多くの場合、その人たちは才能も知恵も持っていますが。その人は単にそこにいればいいだけで、また同じような人が十分にいなければなりません。おもな資質は本人が公的な存在であること、さまざまなちがった人たちと話すということです。これで、歩道にとって興味深い噂が伝わるからです。
 ほとんどの歩道公人は、公共の場に腰を据えて駐在しています。店主、酒場の主人といった人たち。かれらが基本的な公人です。街頭の他の公人たちはすべてかれらに依存しています――直接的ではなくても、こういった店やその持ち主のもとへと道が通じているからです。p.86

 わたしの見る限り、歩道での暮らしは、そこここの集団の中にある神秘的な資質や才能から生じるものではありません。必要とされる明確で具体的な施設があるときだけ生じるのです。これらはたまたま街頭の安全を培うのに必要なものと同じ施設ですし、豊富さと偏在性も同じです。これが欠けていれば歩道でのふれあいもありません。p.88

 負担がかかりすぎると、歩道の公人の効率は激減します。たとえばある店の交流や潜在的な交流があまりにも大規模で表面的すぎる規模になってしまえば、そこは社会的に役立たずになってしまいます。この例はニューヨーク市ロウアー・イーストサイドのコーレアーズ・フックのコーポラティブ住宅が経営する菓子屋や新聞屋に見受けられます。この計画のプロジェクト店舗は、この貧困者支援事業用地やその隣接地にあって(持ち主への補償なしに)一掃された、一見似たような店舗およそ四十店に取って代ったものです。ここは工場です。店員は両替をしたり、行儀の悪い客に無駄な呪いの言葉を叫んだりして忙殺されており、「これください」以外は何も耳に入りません。こんな調子かあるいはまったくの無関心というのが、ショッピングセンター計画や抑圧的なゾーニングで人為的に都市の近隣の商業的独占をはかった場合によく見られる雰囲気です。このような店は、競争があれば経済的に破綻するでしょう。また一方で、独占は予定されていた財務上の成功を確実なものにしますが、都市を社会的に破綻させてしまいます。p.89-90

 このあたり、都市の街路における自営業者の重要性を指摘していると考えるべきだろうな。小経営者民主主義的な主張ととらえていいかもしれない。確かに、個人経営の店の店主ってのは、情報に通じている人が居るけどな。

 田園都市計画者たちは、街路が嫌いだったので、子供たちを街路に出さずにきちんと監視するための解決策として、スーパーブロックの内側に地区内囲い地をつくりことにしました。この方針は、輝く田園都市の設計者たちにも受け継がれたようです。今日では、多くの巨大再開発地区は、街区内の囲われた公園囲い地という原理で計画しなおされています。
 この方式の困ったところは、ピッツバーグ市のチャタム・ヴィレッジやロサンゼルス市のボールドウィンヒルズ・ヴィレッジといった既存事例や、ニューヨーク市ボルチモア市のもっと小さい中庭型集落を見ればよくわかります。多少なりとも自発性や意志力のある子供なら、六歳を過ぎて自分からそんな退屈な場所にはいたがらないのです。ほとんどの子は六歳よりずっと早くそんな場所から出たがります。こうした保護された「一体感」世界は、三歳か四歳の幼児までなら適切でしょうし、実際に使っているのもその年代の子供たちです。これはおそらく子供がいちばん扱いやすい四年間でしょう。またこうした場所の大人の住民たちは、こうした保護された中庭で年長の子供たちが遊ぶことさえいやがります。p.99

 確かに、遅かれ早かれ囲いから出て遊ぶようになるわな。そのときに、保護が与えられないのが欠点と。確かに、小学校高学年から上の子供が集団で騒いでるとウザいと思うときはある。
 しかし、同潤会の江戸川アパートでは、ずいぶん年長までアパート内で遊んでいたようなんだよな→『消えゆく同潤会アパートメント』asin:4309727808

 活気ある多様な歩道で遊ぶのは、今日のアメリカの子供が与えられる他のあらゆる偶発的な遊びとはまったくちがっています。それは、母権支配下で起こらない唯一の遊びなのです。
 ほとんどの都市建築デザイナーや都市計画者たちは男性です。おもしろいことに、かれらのデザインや計画は、人々が暮らすところでは男性を通常の昼間の生活から排除するようなものとなっています。住宅地の生活を計画するとき、かれらが配慮するのは暇な主婦や就学前の幼児たちの日々のニーズと想定されるものを満たすことです。つまりひと言で言うと、かれらは母権社会だけのために計画するのです。p.103

 それどこの日本www
 どこでも一緒なんだな。あと、このあたりの社会生活のおける性別バランスの考え方も興味深い。

 どんな形であれ、周辺が機能的に単調な一般的な近隣公園は、どうしても一日のかなりの時間は無人となってしまいます。そして、ここに負のスパイラルが登場します。その無人が各種の荒廃から守られていたとしても、それは限られた潜在的利用者のプールに対して、あまり魅力を発揮しないのです。それは恐ろしくかれらを退屈させます。というのも停滞は退屈だからです。都市では、活気と多様性がさらに活気を引き寄せます。よどみと単調さは生命を追い払います。そしてこれは都市の社会的なふるまいのとってのみならず、経済的なふるまいにおいても重要なのです。p.119

 あー、確かになあ…

 よい暮らしの要石がいくつかあれば、よい近隣ができると想定するのがファッショナブルです――学校、公園、きれいな住宅等々。もし本当にそうなら、人生はいかに楽になることか! 複雑で下品な社会を、かなり簡単な物理的品物を与えるだけでコントロールできるなら実に魅力的なことです。現実生活では、因果関係はそんなに単純ではありません。したがって、よい住宅と社会条件の改善との明確な相関を示そうと実施されたピッツバーグ市の調査は、取り壊し前のスラムでの非行率と、再開発住宅プロジェクトでの非行率とを比較して、改善した住宅のほうが非行率が高いという恥ずかしい発見にたどりついたのでした。これはつまり、家がよくなったら子供がみんな不良になってしまうということでしょうか? いやまさか! でもそれは、住宅より重要な要因があるかもしれないということは示しています。そしてよい住宅とよい素行との間には、直接の単純な相関はないということも意味しています。これは西洋世界の物語すべて、わたしたちの文献の集積すべて、そしてわたしたちの誰にでも十分にできる観察が、とっくの昔に明らかにしているべき事実ではあります。よい住まいは、それ自体としてよいものです。――住まいとして。でもよい住まいを、それが社会や家族に対して奇跡を起こせるといった怪しげな根拠で正当化するのは、自己欺瞞というものです。ラインホルト・ニーブーアはこの自己欺瞞を「煉瓦による救済ドクトリン」と呼びました。p.134-5

 そりゃそうだ。しかし、似たような主張はどこにでもあるな。

 都市近隣の成功の要石となるものを、物理的施設の水準や、有能で問題ないとされる住民特性、小さな町の生活のノスタルジックな記憶に求めようとするのは時間の無駄です。その本質とは、都市の近隣が都市自体にとって社会的・経済的にどんな有益なことを行っているのか、そしてそれをどのように行っているのか、という問題なのです。
 都市の近隣を、自治のためのありふれた器官として考えれば、何か具体的に俎上にあげられるものが得られます。都市近隣をめぐるわたしたちの失敗は、究極的には局所的な自治の失敗なのです。そして成功は、局所的な自治の成功なのです。ここで自治というのはきわめて広い範囲で言っており、社会の自己管理の公式な形態も非公式な形態も両方含んでいます。
 自治に要求されることやそのための技法のどちらも、大都市においては、小さい地域での要求や技法と異なっています。たとえば、見知らぬ人がたくさんいるという問題があります。都市近隣にを都市自治や都市の自己管理の器官として考えるためには、もっと小さな居留地でのコミュニティには適用できても、都市の近隣には適用できない、近隣について昔からあるけれど実は関係ない発想を潰す必要があります。まずは近隣が自己完結的または内向的な単位だという理念をすべて捨て去る必要があるのです。p.136

 つまるところ、成功した街路近隣ははっきりとしたユニットではないのです。それは物理的、社会的、経済的な連続体なのです――確かに小規模ではありますが、でもそれは縄を構成する繊維の長さが短いというのと同じ意味での小規模なのです。p.143

 都市の単位としての「近隣」は、自己完結的な存在ではなく、外部に開かれた存在であること。自己完結的なイメージは有害であるという指摘。この手の自己完結的な居住地って、現在でもよくある発想だよなあ。

 通例として、都市の規模が大きくなるほど、製造業の種類も増え、また中小企業の比率も高まります。この理由はひと言で言うと、大企業は中小企業より自己完結性が高く、必要となる技能や設備をほとんど社内で持ち、在庫も自分で抱え、市場がどこにあろうと関係なく、広い市場に売ることができるからです。かれらは都市にいる必要はなく、ときには都市にいたほうがよい場合もありますが、しばしば都市にいないほうが有利なのです。でも小製造業企業だと、すべては逆です。通常、社外の多数の供給や技能をいろいろ利用しなくてはならず、市場がある地点で狭い市場を相手にせざるを得ず、この市場での急な変化にも敏感でなくてはなりません。都市企業の強大な多様性に依存することで、かれらもその多様性に貢献するのです。この最後の部分が忘れてはならないポイントです。都市の多様性は、それ自体がさらなる多様性を可能にし、それを促進するのです。p.168

 どんな種類であれ、都市が生み出す多様性は、都市内に実の多くの人が近接して存在し、その人々の中には実に多くの違った嗜好や技能、ニーズ、供給、こだわりなどがあるという事実に根ざしているのです。
 店主と店員一人だけの金物屋、ドラッグストア、キャンデー屋、酒場といった、よく見かけるけれど小規模な店ですら、都市の活気ある地区ではすさまじい数や種類で栄えることができます。それらの存在を、手近で便利に感じられる頻度で支えられるだけの人々がいるからで、逆にその便利さや近隣の人間的な感じが、そうした事業所の魅力として大きな役割を果たすのです。それが接近した便利な間隔でこうした商店が成り立たなければこの長所も失われます。ある地理的な領域内で、人口が半減すれば、支えられる商店の数も半減して間隔が倍になるという話にはなりません。距離的な不便さが加わると、小規模で種類が多く人間的な商店は、それて枯れてしまうのです。
 アメリカは、地方や小さな町の国から都市の国に変わったため、事業所の数もずっと増えました。これは単に絶対数が増えただけでなく、比率的にも増えたのです。一九〇〇年には、アメリカの総人口千人あたり、非農業事業体は二十一個ありました。一九五九年になると、それまでに巨大企業はすさまじく成長したにもかかわらず、独立非農業事業体は人口千人あたり二六・五個ありました。都市化によって、大企業は大きくなりましたが、中小企業はもっと増えたのです。
 小ささと多様性とは、確かに同義ではありません。都市の事業体の多様性は、各種の規模を含みますが、種類が多いということは、小さな要素の比率が高いということでもあります。都市環境の活気は、小さな要素がすさまじく集まっているおかげなのです。p.170

 都市は多様性の、天然の経済的発生装置であり、新事業体の天然の経済的育成装置だとさえ言えますが、だからといって都市が存在するだけで自動的に多様性を生み出すということではありません。都市が多様性を生み出すのは、都市が形成する各種用途の効率よい経済的プールのおかげです。そうした用途のプールを生み出し損ねたら、そういう都市は小さな居住地と比べて、多様性の創出がさほど、いやいささかも勝るわけではありません。そして小さな居住地とちがって社会的にも多様性が必要だという事実は、まったく関係ないのです。ここでの議論で、最も驚くべき事実として念頭に置くべきなのは、都市が多様性を生み出すときのすさまじい不均等ぶりです。p.171

 中小企業や個人商店の重要性とその存立の基盤についての議論。このあたりの中小自営業者の重視というのが、ジェイコブズの都市論の重要なポイントだと思う。あと、このあたりの中小企業論は、訳者解説でも論及されている。

 都市地域に新しい建物しかなかったら、そこに存在できる事業所は自動的に、新築の高い費用を負担できるところに限られてしまいます。こうした新築ビルの高い入居費用は賃料という形の負担になるかもしれず、家主が建築の資本コストに対して払う金利と元金返済という形の負担になるかもしれません。どういう形でそれが支払われるにせよ、何らかの形での支払いは必要です。そしてこの理由から、新築費用を賄える事業所は、比較的高いオーバーヘッドを負担できなくてはなりません――高いというのは、古い建物でもどうしても必要とされる金額と比べてということです。こうした高いオーバーヘッドを負担するには、その事業所は(a)収益性が高いか、(b)補助金をたくさんもらえるところでなくてはなりません。
 あたりを見回していただくと、一般に新築ビルの費用を負担できるのは、老舗か高売り上げか、標準化された事業か、あるいはたっぷり補助金の入った事業であることがわかるでしょう。新築ビルにはチェーンストアやチェーンレストランや銀行が入ります。でも近隣酒場や外国レストランや質屋は古い建物に入ります。スーパーマーケットや靴屋は新築ビルに入ることが多いのですが、よい本屋や骨董店はめったに入りません。補助金の多いオペラや美術館は新築ビルに入りますが、芸術の非公式な供給ルート――スタジオ、画廊、楽器屋、画材店、席とテーブルの稼ぎが悪い非経済的な議論も吸収できるような裏部屋――は古い建物に入ります。もっと顕著かもしれませんが、街路や近隣の安全と公共生活に必要で、その利便性と人間的な性質で親しまれている、何百という普通の事業所は、古い建物でならうまくやっていけますが、新築ビルの高いオーバーヘッドだとまちがいなく潰れます。p.214-5

 様々な企業が存在していくためには、築年代の異なる古い建物が必要という話。あまり賃料が高騰してしまうのは良くないという話でもある。この手の家賃の高さが問題で特定の企業しか入れないという問題は、『新都市論Tokyo』asin:408720426Xでも、六本木ヒルズなどの巨大開発がらみで指摘されていたな。

 永続的スラムの鍵となる結びつきというのは、その場所からあまりにも多くの人々が、あまりにも早く出ていく――そしてそれまでの間は、出ていくことを夢見る――ことです。この結びつきを断たなければ、他のスラムやスラム生活の克服をめざす努力はちっとも役に立ちません。p.300

 スラム問題の核心。

 脱スラム化しつつあるスラムには、特に脆弱な面がもう一つあります。だれもそこで大儲けしていないことです。都市の二大稼ぎ手は、成功していない永続的スラムと、高賃料あるいは高コストの地域です。脱スラム化しつつある近隣は、もはや新参者を食い物にする地主に必要以上の支払いをしないし、永続的スラムほど政策、薬物、犯罪、上納金が豊かに集中した場所でもないからです。一方でそうした土地は、多様性の自滅をもたらすほど高い地価や物件価格にもなっていません。もっぱら質素な境遇にある人々に、まともで活気に満ちた住み処を提供し、多くの小事業主がつつましい生計をたてられるようにしているだけです。p.317

 『スラムの惑星』asin:4750331902でも指摘されていたけど、スラムって家賃収入がいいらしいな。単位面積当たりの収益が最高だとか。それでも、それしか選択肢のない人はそれを選ばざるを得ないと。日本でも、ネットカフェとか、一泊1700円の部屋とか、かなり割高な費用を払わされている人がいるわけで。保証人とか、一定の信用を確保できれば、もっと安く生活できるのだろうけど。

 確率の技法によって、かつての目標――周辺住居や前もって定められた住民たちと「適切」に結びついた店舗――は、一見したところ実現可能になりました。標準的な買物を「科学的」に計画する技術も生まれました。スタインやバウアーなどの都市計画理論家たちはかなり初期の段階で、都市の計画型ショッピングセンターが独占的か準独占的でない限り統計では予測不能となり、都市が暗く不吉な不合理さでふるまい続けることを悟ったのですが。p.463

 「標準的な買物を科学的に計画する」って、『ナチスのキッチン』asin:4891769009の台所にテイラー主義を導入して、合理化するみたいな感覚につながっていて嫌な感じだな。