「フリー」がもたらすポスト近代工業化社会

http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20100222/212930/
 ある意味では、「ジェントルマン資本主義」の時代から「サービス業」の重要性は変っていない。IT化といっても、実際には19世紀あたりから、あまり変っていないと言うこともできるかと。
 情報や技術をうまく運用できる人間が、他者の犠牲の下繁栄し、格差が開くという状況は、全体的な景気循環の停滞局面では割とよく見られる状況。「IT革命」を過大評価しすぎなのではないかとも思う。「少量多品種生産のカスタムメード型」社会も、需要の停滞する局面では良く有りそうだし。それこそ、15-17世紀の低地地方あたりの経済をちょっと知ると、「日の下に新しきものなし」という気分になる。

逆に「情報リテラシー」による所得格差が顕著になり、新たな格差を生み出すことになりそうです。情報が溢れる社会だからこそ、技術を駆使してその中から必要なものを選び出して考え応用し決断するという能力がより求められるのです。

従って情報や知識を使った「知恵の資本」の勝負が熾烈になるわけです。

金融工学」あたりが典型的だが、結局のところ金になる技術・ソフトウェア・ノウハウといったものを、理解し、利用できる人間がもうかる社会。しかも、ヘッジファンドなんかは、極少人数で運営できる。一方で、最終的には90億に達する人間社会を運営していく重さとどう折り合いをつけるかという問題も依然として残るのだが。90年代後半から00年代にかけて続発した金融危機の背景には、そういう問題もあるのではないだろうか。

もちろん日本の場合は、ネット店舗が成長する以前から、様々な業態が企業や店舗の供給過剰による同質化した過当競争に陥っていたということは否めません。百貨店からスーパーマーケット、コンビニエンスストア、専門店と業態が歴史的に変化する中で、いつまでも競争力を失った店舗が淘汰されずに、出店やスクラップ&ビルド、価格競争で取り繕い、銀行や国の支援で「ゾンビ企業」を延命させてきたことが、日本の縮小均衡の一因だと思います。

アパレル業界は消費者が本当に必要とするものを提供できていないから無駄なものをわざわざ作って安売りしているのではないか、と指摘しています。

一面では正しいかな。しかし、

ZOZOTOWNではネット上で「先行予約」という仕組みを持って在庫リスクをとらずに販売することが可能ですが、今後はさらに進化させれば、予約時点で受注生産したり、売れないものは見せただけで生産しなかったりすることも可能になります。

みたいな運用を、全業種で実行できるかというとそうではないし、それが誰にでもできるものではないというのが問題というか。そこからはじき出される分野・人をどうするかが今後の問題になると思うのだが。