中岡哲郎『自動車が走った:技術と日本人』

自動車が走った―技術と日本人 (朝日選書)

自動車が走った―技術と日本人 (朝日選書)

 再読。相変わらず面白い。自動車という乗り物が走り、大量生産にこぎつける。そのことと、周辺の技術や制度の関係を結びつけながら論じている。諸交通機関との対比がおもしろい。
 第一段階は、明治36年あたりから関東大震災まで。この間、国産自動車の試作的な車両が延々と失敗し、また先駆的なバス企業者が失敗を続ける時代。特に、タイヤの安定供給に問題がある等、経済的にペイする形で自動車を運用することができなかった。一方で、技術的な条件が合うところでは、新しい交通機関が爆発的に拡大した。本書では、発動機船と市電が例にあげられている。
 第二段階は、関東大震災から昭和12年まで。この間、自動車の普及が進み、交通システムの中での地位を確立する。フォードとGMが日本に進出し、市場を支配する。これに対し、オート三輪や小型車(ダットサンなど)といった、ニッチな市場で地位を確立しようとする動きが現れるが、これは日中戦争以降の統制で途絶する。p.71-78で示される、各種の輸送機器のダイナミックな競争が興味深い。長距離幹線での鉄道の優位は変わらないものの、地方の支線や市電と競争を繰り広げる一方、個人的な移動では自転車が伸びる。その間の比較的距離の近い物資輸送では、依然として牛車・馬車が幅を利かせ、これに対し、オート三輪などのモータリゼーションの萌芽が見える状況にあったそうな。で、人力車はこの時期には衰退の過程にある。混沌としていて、実に面白い。
 続いては、戦中。鮎川義介の日産とトヨタ豊田喜一郎の対比で語られる。日産がアメリカの技術や設備を(中古設備の導入等資本をケチりながら)導入するのに対して、トヨタは織機生産の経験を生かしつつ手持ちの技術をやりくりして、どちらも自動車の量産を目指す。両者の個性の違いと方法の違いと、方法の差異はともかく、専用機械を多数設置し、それを組織化するという、資本と技術の壁へのアプローチと苦闘がおもしろい。
 次章は戦後。バイク・原付メーカーの叢生から淘汰へ。アッセンブル産業から大企業へ。続いて、オート三輪の時代。その間、四輪自動車は将来を疑われつつ、その能力を拡大していく。トヨタのプレス加工を事例に、生産技術の発展と、鋼板の品質改善から、自動車産業を支えるリンク、関連技術分野の成熟を指摘する。
 最後に、1970年以降のモータリゼーションの完成と、それに伴う歩行者の危険等の問題点。世界でも屈指のレベルの公共交通システムの形成と世界先端レベルの自動車産業の共存というパラドックス。日本の近代の性質についての指摘が興味深い。

 彼らのことを外国で説明しようとすると、意外に苦労する。みすみす損をすることがわかっている事業に情熱をそそぐ経営者の行動について、経済合理的な説明を求められたこともあった。本当に誰も作ったことのないものを作り出すためならわかる、しかし、すでに外国人が作ったもののコピーを作ることではないか、そんな仕事にそこまで情熱を燃やせる理由を知りたいという質問を受けたこともある。
(中略)
 それは多分、開港以来の日本の近代の構造、その中における技術の位置にしみついたものである。この本の第一章で『水蒸船概説』にふれながら、文明開化の構造について書いたが、私たちは少なくとも技術においてはいまだにその構造の上を走っているのではないか。獲得すべき文明のモデルは常に海の外から来た。そしてそれを無条件に私たちは手に入れたいと思った。手に入れようとすることが日本の近代であり、戦後であった。その手に入れようとする文明の核心にあったのは、一回目は蒸気と鉄であり、二回目は自動車とハイウェイであった。p.150-151

 確かに、いまだにマクロレベルでは、海外のモデルに頼ろうとする傾向は変わらないところが。経済学者にとっては、獲得すべき文明が、アメリカにおける経済学なのかなと。一方で、ソニーウォークマンガラパゴスケータイの類は、「近代の構造」を脱しているのではないか。あるいは、ポップカルチャーについても。モデルの存在しない、自分たちの感覚から発したものの復権がそこにあるように思う。


 最後に、付録的な博覧会についての文章とまとめが続く。
 博覧会の章は、幕末以降に海外に渡航した武士たちが遭遇した「文明の衝撃」と、その西洋文明をそっくり移植しようとする、「上からの文明開化」の流れ。そして、江戸時代に極度に発展した在来の生産技術とそこに海外からの技術をアレンジして導入する下からの活力の、交差点として博覧会を通観する。


 最後のまとめ部分は、後の『日本近代技術の形成』への問題意識についてのまとめ。
 今までの技術史が、技術の相互関連について無関心であること、マルクス主義が発展段階の図式にこだわりすぎであること。トマス・スミスの『明治維新と工業発展』が近代工業の力と上からの近代化を高く評価しすぎである。と問題点を総括。
 在来部門と近代部門の相互関係、既存の制度との「つながり」のなかで、近代化がなされたと方法論を提出。世紀の変わり目までに、第一ラウンド、造船と鉄道を主体とする近代化の一定段階までの達成を語りえたが、その後の第二ラウンド以降を語れなかったこと。そこが、今後の課題であると述べている。


 マルクス主義の経済史の部分で感じたこと。
 発展段階としてのマニュファクチュアって、実体がないんじゃないかな。マルクス主義史学の発展段階論は、体裁を整えるためにだいぶ無理をしている。問屋制家内工業と工場制機械生産の間には、結構深い断絶があるように思う。
 工場制機械工業には、市場の変動に極めて弱いという特性がある。設備の固定費が高くつき、大規模な需要が継続的に存在しなければ、運営できない。その点で、専用工作機械を大規模に導入した初期の事例が、スプリングフィールド造兵廠という兵器生産であったことは、示唆的であると思う。安定的な官需が、その存続を保証した。そして、一般の商品においては、このような生産方式を導入できる事業はなかなか存在しなかった。
 イギリスの機械生産(自転車など)では、19世紀を通じて、問屋制家内工業と工場生産は共存し続けた。同様に、日本においても、例えば、自転車生産においては問屋制が戦後まで残存した。庶民向けの耐久消費財生産においては、つい最近まで、問屋制の工業が市場に適合的であった。
 そこをどう考えるか。
 技術のリンクと同時に、誰がその生産活動にお金を出したか、生産活動の担い手、購入者と消費文化、だれが施設を維持し、労働者はどう組織化されたか、そこも考えると、より興味深いのではないか。また、現在一般化している、大規模な工場生産の特異性も浮き彫りになるのではないか。