善意の企てが8割失敗する理由、あるいは盲点への想像力?

http://yukinko629.blog7.fc2.com/blog-entry-194.html 20世紀初頭の同意年齢法上昇運動が労働者階級の少女の抑圧に働いてしまった事例から、善意による活動の限界を明らかに。「ポジショナリティ」という造語?から、相手の代弁が不可能であり、また自分の言動が抑圧的に働くことへの自覚が必要だと指摘する。
 性に限らず、社会にはさまざまなクラスターが存在して、それぞれ独自の文脈で動いている。階級文化と近いようなものだが。何かを「改良」しようとして、その活動が、違う立場の人に思わぬ被害を及ぼすという可能性は常に意識していなければならない。少なくとも、抑圧的に動いてしまわないようにと自戒する必要がある。そのあたり、フェミな人は無防備だなと思うことが多い。


13歳のセックスする権利で展開された責任ベースの議論に感じた危惧が、これに関連するかな。結果(妊娠)に対して責任が取れないという論法は、障害者に容易に適用しうるもの。というか、過去には、まさに適用されてきたわけで。その危険性を頭に入れた上で議論すべきだと思う。