木方十根『「大学町」出現:近代都市計画の錬金術』

「大学町」出現---近代都市計画の錬金術 (河出ブックス)

「大学町」出現---近代都市計画の錬金術 (河出ブックス)

 戦前に大都市郊外に出現した「大学町」を、残された計画図などに表現された情報から読み解いていく。時系列的に都市計画に組み込んでいく技術が発展していく状況と関東、関西、名古屋の三つの都市圏の比較の二つの視点から論じられる。主要な対象としては、一橋大学慶応義塾日吉キャンパス、名古屋大学大阪市立大学などが取り上げられる。
 しかし、河出ブックスは建築を中心に意欲的なラインナップだな。


 第一章は国立の一橋大学の移転の経緯を検討している。関東大震災からの震災復旧と移転が主目的であったこと。国立大学町は、大学の移転を優先し、住宅を従とした、一貫したコンセプトのない開発であったことが指摘される。
 第二章は、私鉄の沿線開発の手段としての、大学誘致を検討している。題材は関西学院大学東京工業大学。阪急は、必ずしも大学昇格に熱心ではなかった関学を誘導して、阪神間にもともとの文化と相俟って、沿線文化を形成させていった。一方、東工大は、大学昇格のためのキャンパス拡充と震災復興のためにかなり突然の移転が行われたが、これが五島慶太と目黒蒲田鉄道に、住宅地としては不適な起伏の多い土地を大学キャンパスとして利用するという考え方を持たせたと指摘する。小林一三五島慶太の対比という点でも興味深いか。
 第三章は大学誘致と宅地開発が同時に進められたパターン。こちらは、慶応義塾日吉キャンパス(予科)と五島慶太の組み合わせ。最初の田園都市的な方向性から、大学と一体的に発展した大学都市となっている。また、起伏が大きく使いにくい土地をまとめるためのデザイン手法、並木道と塔が導入されたことの指摘。
 第四章は、より都市計画と一体化した、区画整理に従属した形でのキャンパス形成の事例。名古屋大学を主に、東京女子大大阪府女子専門学校も言及される。現在名古屋大学がある地域の区画整理は風致の保全に重点を置いた開発が行われたが、名古屋大学の設計もそれを継承して、地形と風致に配慮したキャンパス内の配置になっているという。
 第五章は関一と大阪市の都市計画、特に緑地・公園計画と大阪市大の関係。大阪市大は、大阪市の緑地・公園計画に従属した形で設置された一方で、最終的には大阪市の公園計画が進まなかった、キャンパス地の変更などのために、一体的な緑地が出現しなかったこと。大阪市の公園計画の頓挫を指摘する。
 終章は、特に東京では民間企業の主導性、大阪の行政主体の整備とその頓挫、名古屋の「官が組合を誘導して進めた都市計画の器のなかで、ゆとりをもってつくられた大学町」とそれぞれの性格と、計画の一貫性と事業の実現性の綱引きのなかで生み出されたという指摘で締められる。また、「大学町」の文化的蓄積を重視すべきではないかという意見。


 私自身は本書で取り上げられた大学では関西大学しか訪問したことがないが、ずいぶん山の中にあるなあという印象を持った。熊本市京都市中心部も比較的平たんなキャンパスが多いから、どうにも「起伏に富んだキャンパス」というのがイメージできないところがある。


メモ:

 いっぽう、東京の場合は、民間の力に負った開発が行われた。そこには、政策的な判断を推測することはできるかもしれないが、実態はむしろ、法定都市計画以外の手法を駆使して実現したものであり、この点が、東京の大学町の特質である。いわば都市計画の器からこぼれたものを、震災後という特殊な状況下において、民間の事業推進力を利用して拾い上げたのであり、わが国の近代都市計画史に重要な課題を投げかけている。実現性の点では、震災復旧という背景もあって、多くの大学町が短期に実現した。ただし、国立では周辺開発地の市街化は一向に進まず、日吉台では住宅地が商業地に転用されるなど、町の形成の実情はさまざまであった。p.191

 東京って、都市計画と政治がかちあって、基本的にちぐはぐになっているような。幸か不幸かは知らないけど。それが「大学町」にも現れているのかも。


文献メモ:
中川理『重税都市:もうひとつの郊外住宅史』住まいの図書館出版局、1990
片木篤他編『近代日本の郊外住宅地』鹿島出版会、2000
角野幸博『郊外の20世紀:テーマを追い求めた住宅地』学芸出版社、2000
山口廣編『郊外住宅地の系譜:東京の田園ユートピア鹿島出版会、1987
鳴海邦碩・橋爪紳也商都コスモロジー:大阪の空間文化』TBSブリタニカ、1990
芝村篤樹『日本近代都市の成立:1920-30年代の大阪』松籟社、1998
山形政昭『ヴォーリズの建築:ミッション・ユートピアと都市の華』創元社、1989
津金澤聡廣『宝塚戦略:小林一三の生活文化論』講談社現代新書、1991