坪井川旧流路をたどる

 熊本城と熊本市中心市街地を隔てる坪井川は、かつては京町台地や茶臼山(現在の熊本城)の崖際を流れていた。加藤清正時代に、熊本城の堀とするため、この川から現在の流路へと分流がつくられた。江戸時代には、内坪井町の東西両側を流れていたことが、当時の地図からも分かる。その後はよく知らないのだが、Wikipediaによると昭和になってから河川改修によって、東の流れが本流とされたそうだ。で、現在も残る西の旧流路をたどってみた。ただし、現在のところ、上流がどこに続いているか知らないので、たどれるところまで。
 子供のころからよく目にする流れだったが、あれが坪井川とは、割と最近まで知らなかった。


 最下流、現在の坪井川との合流点。右は城東小学校、左は年金事務所。こうして見ると意外に水量がある。下水か、それとも湧水があるのかは定かではないが。




 城東小学校の裏門、みゆき橋から下流を見る。かつては、川の上に張り出すように、建物が建っていたが、だんだん撤去されつつある。





 流路は崖下を走っていく。ここから上流は一旦道がなくなる。学校などの敷地の裏をはしっていく。上の道を迂回する。

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 京町台地へ上る坂をえっちらおっちらと上って、そこから小さなヘアピンカーブの道に曲がる。




 坂の途中から。かつての厚生年金会館の裏手を流れていく。何年か更地だったが、現在はマンションか何かを建設中。でっかいクレーンはかっこいい。






 県道一号線が旧流路を渡っている橋。錦橋という銘盤があった。





 ここから上流は暗渠になって、京町台地の崖の下を走る。NTTの敷地の裏を流れている。この蛇行具合が明らかに川って感じ。




 暗渠は住宅地の中を蛇行しながら、観音坂の麓に出る。





 周りを見てみると、坂の上の方に橋の欄干の名残らしき石柱が。




 川は丹後寺の境内を半円形に囲むようにして流れていく。この丹後寺は、『新熊本市史』の別巻所収の江戸時代の古地図にも出てくる。すぐわきの道路とは、段差がある。






 その後、は新坂・中坂のふもとへ。いつの間にか車両通行止めになっている。道路に上るところにチェーンが渡してあった。




 ふと見ると、欄干の土台か何か、煉瓦の構造物が。気をつけてみると、意外と川の痕跡が残っているものだ。パイプを通していたような跡があったが、何のためのものだろうか。




 道をこえて、さらに暗渠は続く。住宅が門を向けていないあたりが、暗渠感バリバリ。





 しかし、順調に追っかけてきた川の痕跡も唐突に途切れる。いきなり住宅が立ちふさがる。暗渠の上に家を建てたんだろうか。埋めてしまったのか。これ以上は文献調査などが必要そうだ。道路と住宅の敷地の境界付近に、暗渠っぽい痕跡があるのだが。




 本日の行程。この線に沿って動きました。北が上流。