高橋慶史『ドイツ武装SS師団写真師1:髑髏の系譜』

 写真・編成図・文章で武装SSの師団の編成から終焉までを紹介している本。版型もでかいし、図もたくさんで読み応えがある。この巻では、第3戦車師団「トーテンコップフ」、第6山岳師団「ノルト」、第18義勇機甲擲弾兵師団「ホルスト・ヴェッセル」、第25武装擲弾兵師団「フニャディ」、第26武装擲弾兵師団「ハンガリア」、第30武装擲弾兵師団ロシア第2の6個師団の師団史を紹介。前の三つは、収容所の警備部隊である「髑髏部隊」を母体に編成された師団群、後三者は占領地や枢軸側国家の義勇兵を母体に編成された師団。
 本書で紹介されている師団のなかで、まともな師団と言えるのはトーテンコップフとノルトくらいのものだよなあ。第18「ホルスト・ヴェッセル」以降の師団はなかなか酷い。母体のSS第1歩兵旅団が東部戦線の後方警備任務で、パルチザンと戦い、ついでに住民を虐殺しまくっている上に、スロヴァキア軍の蜂起の時も徴募したドイツ系ハンガリー人の民族的な感情のいきががりから虐殺暴行略奪。義勇兵師団はまともな武器も与えられないまま、右往左往していただけといった感じ。
 あと、戦後の義勇兵たちの末路も悲惨のひと言に尽きる。ホルスト・ヴェッセルの敗残兵は復讐に燃えるチェコスロヴァキア人に虐殺される。ハンガリーの師団は高級将校はハンガリーに送られて大半が処刑。下士官兵は罪に問わないと言われて帰国した兵士も処刑や強制労働。フランスに逃げたのは炭鉱送りか外人部隊かで、外人部隊に入隊した兵はベトナムのディエン・ビエンフーで戦死か捕虜という。それでも半分程度はアメリカやオーストラリアに移民が認められているだけましで、ベラルーシ義勇兵ソ連に引き渡されて、大半が処刑かシベリア送りだもんなあ。