近見神社の石造物

 日吉小学校の南、旧街道と三号線の中間あたりに立っている神社。住宅地の中にひっそりと立つ。



支那事変記念碑」

 「皇紀二千六百年」関連。こうして見ると、この種の石碑は本当に多いな。



台座右面

  発起
出征軍人家族一同
下近見在郷
   軍人会
  賛助
下近見区有志


参道舗装



碑裏面

皇紀二千六百年十一月 建設


よく分からない石碑

 全然碑文が読めなかった… とりあえず明治20年の建立らしい。


「近見神社由緒」碑

 神仏分離で「本来の姿になった」みたいなことが書いてあるけど、日吉神社で祭神が山王権現なら、むしろ神仏習合の方が本来の姿だと思うが。あと、「御土御門天皇」ってなっているけど、これは「後土御門天皇」の書き間違いだろう。



表面

当社は人皇第百三代御土御門天皇の文明元
年(一四六九年)の勧請と伝えられ神仏習合の時
代を経て明治五年(一八七二年)太政官達によっ
神仏分離し神社本来の姿になった。大正
三年(一九一四年)勅令によって神饌幣帛供進村
社に列格し三月の祈年祭十月の例祭十一月
新嘗祭には村長を供進役として祭典を執
行し管内小学校児童は校長引率のもと式に
参列し又神賑行事として素人演芸会等を催
した。昭和二十年(一九四五年)神道指令によっ
て国家管理を離れ昭和二十八年(一九五三年)
国家から境内地の譲与を受け宗教法人近見
日吉神社として発足し住民の信仰厚く現在
に至っている。
御祭神 大山咋神を始めとする山王二十一社の御祭神
内水神社御祭神 罔象女神
祭日 七月十八日(夏祭)九月二十九日(宮座祭)十月十九日(秋祭)



裏面

 神社改修工事記念
一、本殿拝殿再建工事
   明治五年(一八七二年)
一、本殿拝殿参道改修工事
   昭和四十六年(一九七一年)
一、本殿拝殿参道改修工事
   昭和六十年(一九八五年)
一、手水舎水道工事
   昭和六十一年(一九八六年)
昭和六十一年(一九八六年)三月奉建
第四町内自治会長 本田隆雄
第八町内自治会長 村本俊喜
下近見農区長   織田一人
  宮総代    稲生広美
  仝      横田義隆
  仝      太田 高
  仝      高村幸一
  仝      織田明義
  仝      荒木忠吉
  仝      織畠哲也
  仝      稲生峯夫