高橋裕『川と国土の危機:水害と社会』

 日本の治水や海岸保護対策の問題点を指摘した本。ハードによる災害対策は、ハードの性能以上の災害には対応できないこと。「無思慮な開発」が脆弱さを拡大させているという指摘は全く同感。堤防などの施設だけではなく、土地利用などの側面からも防災を考慮すべきだと指摘する。一方で、明確ではないが、スーパー堤防は推進すべきという意見のようだ。
 社会の在り方の変化に伴って災害の様相が変わっていくこと、流域全域の開発やより早く流す治水の結果下流に短時間に大量の流水が流れ込むようになっている状況。ダムや流路の変更に伴う土砂の堆積サイクルの変動とそれに伴う海岸線の浸食の進行、さらにそれが海岸堤防などの防災施設を脆弱にさせていること。流域全体のマネジメントのために森林の地籍調査などの推進の必要性の指摘など、いろいろと興味深い。水田を遊水地に利用するなどこまごまとした施設で少しづつ水をためていく必要は確かにあると思う。あと、31ページ以下の土砂災害で分家が被害に多く合っているという偏りも非常に興味深い。
 一方で、かつて地域の住民が持っていたという「災害文化」に関しては微妙に疑問が。まあ、かつては比較的小さな水害が頻発して、地域の住民がある程度水害に対する勘所を持っていたのは確かだろうと思う。しかし、江戸から近代にかけても、大規模な水害には多数の犠牲者を伴っていたわけで、どこまでそのような「文化」が通用するのか。少なくとも現代社会は災害死者に関してはゼロトレランスに近い意識なわけで。
 まあ、防災施設の維持や災害の監視への地域住民の「参加」の必要は十分にわかる。ただ、現在の日本社会において同じ場所に30年以上住んでいる人間の方が少数派なんじゃなかろうかとも思う。あと、谷底や海岸など災害に脆弱な場所に、大規模介護施設が立地し、災害弱者が集中している状況も取り上げてほしかったかな。


 以下、メモ:

 問題は治水設備だけではない。高度成長期以降の土地利用をみるかぎり、大水害の可能性を十分に考慮しているとはいえない。災害に対する危険度が増しているなかで、設備のみに依存した治水はきわめて危険である。大災害が発生していないのは、治水設備が機能している面もあるが、それが真にテストされるような事態がたまたま到来していないためと見るべきである。p.�瞼

 実際、熊本市東部から益城にかけても、台地の中小河川の谷底に新興住宅地が多数開発されていて、見るからに危ないなあと思うし。今年は、久しぶりにあちこち走ったけど、益城町の鉄砂川とか妙見川とか、ここ十年ぐらいで新規に開発された、いかにも水害に脆弱そうな新興住宅地が散見されるし。熊本市内の健軍川流域、藻器堀川流域とか、健軍神社の裏手とか、流通団地近辺とか、いくらでも危なそうな土地は指摘できる。7月の水害で浸水した龍田陣内4丁目とか、龍田1丁目なんかも、浸水範囲はもともと人が住んでいなかった場所だしな。かつては割と頻繁に浸水していたんじゃなかろうか。

 大河川の堤防が現在破れた場合の災害は、かつての大水害の比ではない。氾濫想定域の土地条件が、水害に対してきわめて弱くなっているからである。水害に無防備な開発による土地利用の激変、氾濫原における人口密度の増加、都市における地下開発の普及、多数の高層ビルの出現、地盤沈下による海面以下のいわゆるゼロメートル地帯の増加は、特に東京、名古屋、大阪の三大都市において深刻である。さらに都市近傍の丘陵、台地は、大規模宅地化もしくは観光開発などにより、水害ポテンシャルが増加している。
 一方、ここしばらくの間ほとんどの大河川で破堤、氾濫を経験していないため、住民の水害への危機感は欠如し、氾濫などをほとんど考慮しない都市開発が進んでいる。p.12-3

 いや、全くもってその通りなんだよな。

 確かに、それらが大水害連発の原因の一部には違いなかった。しかし、明治以降の各主要河川の洪水記録を経年的に比較すると、洪水流量が大洪水発生とともに年代を追って着実に増加していることも明らかであった。すなわち、時代とともに、流域が開発され、それを守るためにより規模の大きい治水事業を進めなければならなくなった。その結果、洪水の規模がしだいに大きくなったのである。p.25

 つまるところ、近代の治水思想の破綻だよなあ。一気に流す方式は無理があると。まあ、戦時中に木材の大量消費なんかで、山が荒れたのが終戦直後の大水害をドライブしたのは確かなんだろうけど。

 この台風が、さらに一〇年前に襲来していれば、被害はかなり小さかったと思われる。もっともこれは巨大台風であり、河川の破堤被害もあったので、相当の被害は免れえなかったであろう。しかし、被害を莫大にした最大の要因は、この台風以前の約一〇年間の被災地域の開発にあった。
 まさに高度経済成長が始まった時期であり、名古屋市周辺は、いわばその先進地域であった。この数年前から、名古屋市南部には工場がつぎつぎと進出し、それに伴い住宅や商業施設の開発も始まっていた。さらに工合の悪いことに、濃尾平野では地下水の過剰揚水による地盤沈下が進行し、地面が海水面より低いゼロメートル地帯が増大しつつあったが、この段階で有効な地下水規制がとられていなかった。一方、木材需要の急増のため、南洋材のラワン材の輸入が、この時期、一挙に増大し、その貯木場の整備が間に合わず、水域を仕切る程度の簡素な貯木施設が多かった。高潮によって解き放たれた巨大なラワン材が、海岸堤防を集団となって乗り越え、濁流とともに構造物を破壊し、大型凶器と化した巨木によって多くの人命が失われた(本章扉写真)。愛知県だけで犠牲者数は三三〇〇人に上った。
 伊勢湾台風による被害の様相は、防災対策を十分に考慮しない開発が、いかに国土を危うくするかを教えている。伊勢湾台風の最大の教訓は、目先の経済的利益のみを追求する開発がつねに新型災害をもたらすことであり、その後の経済成長のあり方への痛烈な警報であった。p.29-30

 伊勢湾台風が被害を拡大した理由として、高度成長に伴う開発が影響していたという指摘。海抜ゼロメートル地帯の拡大とラワン材による破壊の相乗効果か。漂流物の怖さといえば、インド洋大津波アチェ東日本大震災気仙沼みたいな船が打ち上げられて、破壊の限りを尽くすって事例があるな。

 排水の効率を高めるために、とうとう東洋一と称する大型排水ポンプ機場が設置された。農業関係者はそれを自慢するようにさえなった。一九五〇年代後半、外国の農業水利専門家がこの地を訪ねた際、この自慢話を聞いて驚いた。「日本は、こんなにまでして米価を高くしていいのですか。」しかし、現場にいた土地改良区や農政の担当者は、その意味をまったく理解しなかった。敗戦直後から高度成長期にかけて、農民はもとより、農政担当者の多くは、米価を国際価格と比べて検討する感覚がほとんどなかったとしか思えない。p.68

 まあ、なかったんだろうな。で、こうして、日本農業の高コスト体質が形成されたと。戦前には、米価の低落に苦しんでいたんだけどな。

 歴史上、土地制度における重要な足跡とされる太閤検地(一五八二年(天正一〇))も、主として、田畑の測量および収穫量調査であり、山林はほとんど測っていない。一八七三年(明治六)の地租改正も農地中心であった。先に触れたように一八九六年の民法公布で土地の所有権が地下水も含めその土地の上下に及ぶとされ、地下水の私物化への道を開いてしまった。この民法は当時のフランス民法の影響が大きかった。その後、フランスでは土地需要の増大と投機による地価高騰を背景に、公共団体による優先先買権や、土地収用権など公権を強化する法や制度に改正されたが、日本は以来一〇〇年あまり、基本的にはなんら変更されていない。p.98-9

 おかげで、日本は私有財産権がむしろ先進国では以上に強い国になってしまったんだよな。で、公共的な利用や「公共」の概念の熟成が進まないと。

超過洪水にどう対処するか
 治水計画にとって重要なのは、これら計画対象を越える、いわゆる「超過洪水」の場合への対応である。従来、治水計画は、治水施設への信頼に基づいて実行されてきた。それを越える大洪水に対しては、治水事業のみでは対処できないとされてきた。
 超過洪水に対しては、河道外の氾濫原の土地利用規制を含む、地域計画で対抗すべきである。居住地区や農地、工場用地の浸水を前提として、人名と財産を守る土地利用計画を樹立しなければならない。浸水頻度の高い区域は、新たな開発を禁止、もしくは強く規制することが必要である。
 超過洪水への対応として、より強大な堤防やダムなどの構造物を軽々に計画すべきではない。莫大な工事費が財政を圧迫することに加えて、そのような巨大で堅固な構造物が建設されると、住民は安心し切って、治水の安全性の向上を前提に新たな地域計画が作成される。しかし、治水施設は万能ではありえない。その構造物が洪水に耐えられなかった場合、大悲劇を招くことになる。p.148-9

 どこぞの政権与党に聞かせたい言葉だ。どこかに限界はあるんだしな。

 わが国の義務教育においては、社会基盤や国土保全の重要性についての教育が著しく欠落している。日本の国土全般の災害特性とともに、それぞれの地域の災害特性を学ぶべきである。この場合、けっして紙上の知識に偏することなく、現地へ赴き、かつて大水害を起こした河川の破堤地点など、それに関連した地形や地質を現場で示すことが望ましい。現場を訪ねることによって、地相を読む初歩を身につけ、自然の特性を観察する楽しみを少しでも会得できれば、後述する地に足の着いた自然観の養成にも役立つであろう。p.164

 ほんと、こういうの大事だよね。どうしてこんな危なそうな所に家買うんだろうみたいな場所多いしな。地理と地質と歴史の知識は大事だよね。