國學院大学神道学科の先生が、靖国神社は戦死者が祟らないよう怨念を鎮めるのが本来の宗旨だから、英雄と祀り戦争を美化し政治的に利用することは靖国の神に対する冒涜だと指摘する論文を書いたら、神社本庁が大学に圧力。「学問の自由は尊重すべきだが国家護持運動の妨げは駄目」と無茶苦茶だった。
— 井上靜 Joe Inoue (@ruhiginoue) August 15, 2013
まあ、ありそうな話だよなあ。誰の話なんだろう。
しかしまあ、靖国神社の淵源には御霊信仰があるのは確かなんだけど、最初のころからむしろ、「天皇のために死んだ人間」を顕彰して忠誠心を高める性格が強かったように見えるのだが。まあ、論理的には、そういう主張もありなんだろうな。「国家護持」を主張するような勢力には、それは困った主張だろうし。
基本的には、靖国ってのは、戦死した人を悼む人として当然の感情をねじまげて、「万世一系の現人神たる天皇」を中心とした「国体」を維持しようというエネルギーに転化する装置なんだよな。だからこそ、靖国神社は第二次世界大戦の死者を悼む施設にはふさわしくない。