春日射撃場跡

 先日の鶴屋の古書店で拾ってきた地図や本の品定め中。1000円でゲットした市史の端本と明治末から大正前半にかけての20万分の1地勢図が一番かな。なんか、陸軍の人が使っていた地図みたいで、部隊の展開が書き込まれている。13歩兵連隊と47歩兵連隊で戦闘集団を形成しているようだから、大正14(1925)年以降に使われたものかな。
 地図を見ると騎兵営が大江に移転、熊本軽便鉄道が大津方面に伸延している、豊肥線が形もないといったところから、1901(明治34)年から1914(大正3)年の間に測量されたもののようだ。熊本軽便鉄道の南千反畑から上立田間開業が、1908年だから、それ以降の可能性が高い。
 で、この地図を見ていると、花岡山と独鈷山の間に「春日射撃場」というものが存在する。現在も痕跡が残っていないかと、地図を見てみると、町割にきっちりと、当時の敷地が現われている。春日7丁目の10-17番地が、当時の敷地そのままに、他の土地とは違う傾きで残っている。機会があったら見に行く予定。『熊本の戦争遺跡』によれば、1900年ごろに設置され、1937年の花園射撃場設置に伴って廃止されたそうだ。



 ちなみに、移転先の花園射撃場の跡は、いま、柿原公園になっているところかな。



参考
熊本の戦争遺跡研究会編『熊本の戦争遺跡』創想社、2010(ISBN:9784902227109
熊本県内各地の第六師團関連の練兵場、射撃場、演習場
熊本軽便鉄道:Wikipedia